取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することでオーナーさんの歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。
今回、お話を伺ったのは、東京都内の会社に勤める高橋敏郎さん(55歳)です。都内に越してきたのは22歳の頃、それまではご両親と共に名古屋で生活していました。20歳半ば過ぎに奥様と出会い、結婚。現在は自動車とオートバイ、そして孫娘さんを溺愛する日々を送っています。
風吹に憧れた小学生時代、早川に憧れた中学生時代
70年代半ば、少年たちを虜にしたスーパーカーブーム。当時、小学生だった敏郎さんも、ご多分にもれずスーパーカーに魅せられ、くわえて漫画『サーキットの狼』の影響もあって自動車に熱をあげます。中学校にあがると、今度は漫画『750ライダー』に影響を受け、興味の対象がオートバイに移りました。様々なオートバイ雑誌を買いあさっては情報を集め、16歳で原動機付自転車の免許証を取得。程なくしてオートバイショップから、ヤマハの『TY50』を中古で購入します。
「親に色々と言われるのがイヤだったんで、TYは内緒で買いました。乗らないときは近くの公共施設の駐輪場に、勝手に置いてたんです。でもTYで買い物に行ったら偶然、母親と会って、全部バレちゃいました。『あんた、なにオートバイなんか乗ってるの!』、『うるせえ、買ったんだよ!』って。叱られた後は家に置けるようになったので、それはそれで結果オーライでしたね。
あの頃は時間と体力だけはありましたから、休みになったら寝袋だけ持って、あっちこっちに行っては野宿をしていましたね。いやー、懐かしいな」
その後、17歳で普通自動二輪(中型)を取得。オートバイもホンダの『ラクーン』、ヤマハの『RZ250』、ヤマハの『XJ』と、徐々に排気量の大きなオートバイに乗り換えます。
一方、自動車は免許証こそ18歳で取得したものの、乗り始めたのは20歳を過ぎてからでした。記念すべき最初の愛車は日産の4代目『ブルーバード』。知人から5万円で購入します。
「はじめてブルーバードに乗った時は、あまりの快適さに感動し「この中に住める」って思いましたね。実際、ブルーバードに乗ったら走れるだけ走って、疲れたら仮眠を取り、起きたらまた走ってという感じで、ずっと車の中にいました」
敏郎さんは22歳で単身、東京に越してくるのですが、その際にブルーバードを売却。引っ越した先でスバルの軽自動車、3代目『サンバー』(ワンボックス)を中古で購入します。
「この頃はキャンピングカーに憧れていたんですよ。でも本物のキャンピングカーを買うお金はなくって。そこでホームセンターで床板を買ってサンバーの荷台をフローリング仕様にし、快適に眠れるようにしました。
これなら長距離の移動だってできると、一般道で九州を目指したんです。今、考えると無謀ですよね。夜になったらファミレスとかの駐車場に車を止めて寝てました。あるとき、ファミレスの店員さんに開店待ちのお客と間違われ、起こされましてね。『ごめんなさい、勝手にとめて寝てただけです』って言えなくて、そのまま入店して朝食を食べたこともありました。
結局、広島まで行ったんですが、あんまりに疲れて断念。『やるんじゃなかった』って、後悔しながら高速道路を使って帰りました」
自動車に乗り始めたものの、オートバイへの興味を失った訳ではありません。XJから、より悪路の走破性能が高い、ホンダの『XLR BAJA(バハ)』に乗り換え。これにともないツーリングやキャンプにはBAJAで行くことが多くなったため、用途のかぶるサンバーを売却します。
この後、数年ほど自動車のない生活を送りますが、今の奥様とつきあい始めたことで自動車が必要になり、日産の3代目『パルサー』を中古で購入。程なくして程度のいい日産の6代目『スカイライン』、通称“鉄仮面”と出会い、乗り換えます。
ひとり気ままなツーリング、あるいはオートバイ仲間とのキャンプはBAJAで、奥様と一緒の旅行はスカイラインでと、理想的な6輪生活を送ります。
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