◎No.27:三浦綾子の手鏡
文/矢島裕紀彦
へその緒が首に巻きつき仮死状態で生まれ、体の奥に蒲柳(ほりゅう)の質を抱え込んだ。
24歳で肺結核に罹患し、以降13年に及ぶ療養生活。とくに後半の6年余は、結核菌が背骨まで蝕む脊椎カリエスを発症。ギプスベッドに寝たきりで、首を動かすことさえ禁じられていた。
どうにか結核が癒えると、癌が身を苛(さいな)んだ。さらに最晩年は、徐々に手足の動きが鈍くなるパーキンソン病を患った。
これだけの病と闘いつつ、三浦綾子の作家としての歩みが撓(たわ)むことはなかった。一大ブームを巻き起こした『氷点』を出発点に、『塩狩峠』『天北原野』『銃口』など人間の生き方を問う佳作を次々と世に送り出す。綾子を支えたのは、キリスト教信仰と夫・光世の深い愛であった。
北海道旭川市郊外、静かな林の中に建つ三浦綾子記念文学館で、若き日の綾子愛用の手鏡と邂逅した。長さ21センチ。柄や背面部は木製。茶色。嵌め込み式で、もうひとつの手鏡がすっぽり収まる方式。脊椎カリエスで身動きできない時期、綾子はこの手鏡を使って食事をし、庭の風景を眺め、自らを慰め励ましていたのだという。
亡き人の、試練を踏み越える強靱な精神を映し出す、可憐にして凛々しい遺品であった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。
写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。
※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。