◎No.23:夏目漱石の万年筆

夏目漱石の万年筆(撮影/高橋昌嗣)

文/矢島裕紀彦

明治33年(1900)9月8日、夏目漱石を乗せた汽船プロイセン号が横浜港を後に欧州へ向かった。

長い航海の気鬱(きうつ)を晴らし運動不足を解消するため、漱石は学生時代から得意だった器械体操を、船内で敢行した。ところが、ある日、鉄棒をやっていて、ポケットに入れていた万年筆を折ってしまった。妻・鏡子の妹の時子が贈ってくれた、大切な品であった。漱石は悲嘆し、航海途上の10月8日付、鏡子宛の手紙にこうしたためた。

「時さんの呉れた万年筆は船中にて鉄棒へツカマツて器械体操をなしたる為め打ち壊し申候。洵(まこと)に申訳無之(これなく)御序(ついで)の節よろしく御伝(おつたえ)可被下(くださるべく)候」

ロンドンの漱石は研究書物購入のため、食費も切り詰める毎日。高価な万年筆など買えるはずもなく、つけペンで通した。再び万年筆を使い始めるのは、作家として脂がのってきた明治40年過ぎ。当初、英国ドゥ・ラ・リュー社製の「ペリカン」を選んだのは、かつての留学先という親近感が働いたためもあっただろう。インクは、ブルーブラックを嫌いセピア色を好んだ。

神奈川県横浜市の神奈川近代文学館に現存する漱石愛用の万年筆は、同じドゥ・ラ・リュー社製の「オノト」。漏出防止装置つき。インクのボタ落ちを気にする漱石のため、評論家で丸善顧問の内田魯庵が進呈したものだった。ペン先が喪失しているのは、漱石病没時、副葬品として鏡子が埋葬したためという。

漱石が留学時に使った英文字の名刺は、3×7・2センチの小型。刷色は黒。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。

写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。

※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。

 

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