今をいかに生きるべきか。その答えを探す鍵が「禅(ぜん)」にはある。禅を実際に体験することで、人生の指針となる奥深い世界に触れ、自己を見つめるきっかけにしたい。
禅の修行法として、まず思い起こされるのが「坐禅(ざぜん)」である。禅の境地に至る道といえる坐禅の基本を教わるべく、俳優の大杉漣さんが古都鎌倉きっての禅の名刹・建長寺を訪ねた。
※この記事はサライ2016年4月号より転載しました(取材・文/内田和浩、撮影/高橋昌嗣)
鎌倉の建長寺は、宋(中国)から渡海した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建された臨済宗建長寺派の大本山である。大杉漣さんにとって、はじめての参禅であり、禅刹(ぜんさつ)の空気に触れて、表情が引き締まる。
坐禅の指導にあたるのは建長寺の僧侶、浅井正悟さんだ。まずは「坐相(ざそう)」から説明が始まる。
「右足を左足のももの付け根に近いところにのせます。さらに左足を右足の上にのせて足を組むと結跏趺坐(けっかふざ)という正式な足の組み方になりますが、どちらか片方の足だけをももにのせる半跏趺坐(はんかふざ)でもけっこうです。それも辛ければ胡坐(あぐら)でも構いません」
足を組み、手を法界定印(ほっかいじょういん)という楕円の形に組んだのち、姿勢を正す。
「天から頭を引っぱられるような感じで上半身を伸ばし、肩の力を抜いてください」と浅井さんが説明すると、大杉さんの背筋がぴんと伸びた。
「その姿勢のまま、顎を軽く引いて、視線を1mくらい先に軽く落とします。目を閉じるといろいろな考えが浮かんできますし、眠くもなるので閉じないように」と浅井さんが指導すると、大杉さんの目が仏像のような「半眼(はんがん)」になり、姿勢は定まった。
「次に身体を左右にゆっくり動かして自然に止めます」(浅井さん)
指導のとおり身体を左右にゆすって止めると、中心が定まり、腰がどっしりと落ち着いた。
【坐相を調えるための5カ条】
一、 座布団に腰をおろし、足を組む。
二、 へその位置で両手を軽く重ねる。
三、 腰骨を立て、背骨をまっすぐ伸ばす。
四、 顎を軽く引き、視線を1mくらい先に落とす。
五、 身体を左右にゆすって中心を定め、腰を定める。
坐るために身体を調える「調身(ちょうしん)」に続き、浅井さんは坐禅の呼吸法「調息(ちょうそく)」を説明する。
「呼吸は鼻で行ないます。呼吸に合わせて心で、ひとーつ、ふたーつと、1から10まで数えます。これを数息観(すそくかん)といいます。数息観を繰り返して心を調えてゆくことが調心(ちょうしん)です」
【気息を調えるための3カ条】
一、 鼻から息をゆっくり抜き、ゆっくり吸い込む。
二、 吸った息が下腹まで届くように腹式呼吸する。
三、 呼吸に合わせ、心の中で数を数える。
奮起を促すための警策(けいさく)の受け方の説明のあと、坐相を正し、坐禅の開始を告げる拍子木のような木製の法具「柝(たく)」と、手持ちの小さな鐘「引磬(いんきん)」の音が方丈に鳴り響いた。
数息観に集中しているのだろう、大杉さんの胸がゆっくりと動く。5分後、大杉さんが合掌して警策を願い、肩を打つ引き締まった音が4つ轟く。姿勢を正して、坐禅することさらに10分。柝と引磬の音を合図に坐禅の終了が告げられた。
ゆっくりと身体を動かして坐相を解いた大杉さんは、清閑な面持ちで浅井さんに合掌一礼した。
禅宗では、師との対話を通じて境地を深めてゆく。坐禅体験を終えた大杉漣さんが、臨済宗建長寺派宗務総長の石澤彰文さんに、坐禅の要諦(ようたい)について教えを仰いだ。
石澤 今日はどれくらいの時間、坐られましたか。
大杉 15分です。禅僧の方は30分以上も坐るそうですね。
石澤 坐禅の時間というものは一律ではありませんし、長ければ良くて、短ければ悪いというものではありません。かの一休禅師(一休宗純、1394~1481)がこう言っています。
「一寸の線香一寸の仏 寸々積み成す丈六の身」
一寸(約3cm)の長さの線香が燃える時間だけ坐禅をしても、それだけの功徳があって、それを積み重ねていけば丈六(1丈6尺=約4m80cm)の仏になる、という意味です。もちろん丈六という大きさは物理的なものではなくて心のことです。だから15分でも充分ですよ。
大杉 さきほどの坐禅では、最初のうちは、坐禅の仕方ばかりを考えていました。そういう気持ちから逃れたくて意図的に警策を打っていただいたのですが、そこから腰が落ち着いたといいますか、呼吸も自然にできてきたと思います。禅僧の方は坐禅のとき、どのように集中していくのですか。
石澤 それはもう、はじめは雑念が渦巻いています。そのうちだんだん気が調ってくるものです。
無になろうと思わないほうがいいのです。思うことはひとつの分別なのでね。仏教でいう「無分別」とは、一般に使われている「あの人は分別がない」とかいう意味ではなくて、自分が持っている観念や概念を全部取り外した状態のことです。そこまで到達すると、禅では悟りといいますけれど、その境地に安住してもいけない。いつどこで坐ってもよいのです
大杉 坐禅は自宅でしてもいいものでしょうか。
石澤 もちろんです。いつ、どこでやるかということも決まりはありませんし、足を組むのが辛かったら椅子に坐っても構いません。
大杉 そううかがうと、とても安心します。演技では俗っぽい役を演じることもありますし、聖なる役のときもあります。役がなんであれ、心をいい状態にしておくことが演ずることにとって大事なことと実感しています。
石澤 家でも楽屋でもいいので、ほんの短い時間でも坐って、気を調えてみるとよろしいですよ。心を静めるというのは気を調えることです。そうすると、自分を取り戻すことができますし、それによって正確な判断ができます。
大杉 今日はお寺で坐禅をさせていただき、日常とは違う体験ができました。気が調ってゆく感覚が実感としてありました。ただ、もっと長く坐っていたかったですね。もう少しいくと、どんな感じになるのかなと。
石澤 心の平穏を得るには、お寺はいいところですよ。ぜひまた坐禅にいらしてください。
※この記事は『サライ』本誌2016年5月号より転載しました。取材時のスタッフへの気配り、坐禅撮影中の真摯で颯爽とした姿、そして取材後にお寺の僧堂を拝見させていただいた際の好奇心にあふれた無邪気な眼差しなど、気さくで温かいお人柄が取材担当者の心に残っています。大杉漣さんのご冥福をお祈り申しあげます。