文/田中昭三
いま東京国立博物館では、『禅―心をかたちに―』という展覧会が開催されている。禅にまつわる多数の国宝・重文が出展される、久しぶりの大規模な展覧会である。
禅とは何か。一言で答えるのはむつかしいが、禅をテーマにした絵画、いわゆる禅画を読み解くことができれば、禅への興味が一層深まるに違いない。
禅画の代表といえば、冒頭に掲げた雪舟作『慧可断臂図(えかだんぴず)』(国宝)である。室町時代中ごろ、明応5年(1496)の作品だ。
洞窟のなかで坐禅を組んでいるのが、インドから中国に禅をもたらした中国禅の始祖、達磨(ダルマ、?~530?)であり、その達磨の背後にいるのが、神光(しんこう、487~593)という人物。後に慧可(えか)と名乗り、中国禅の第二祖と称えられる名僧である。
慧可は、はじめ儒教や老荘思想を学ぶが得心せず、最後に達磨の門を叩いた。そのころ達磨は河南省の少林寺で、ひたすら坐禅を組んでいた。9年間壁に向かって坐禅したところから「面壁九年」という。
慧可は何度も達磨の元に通い、参禅を願い出た。しかし達磨はすぐには受け入れない。ある年の冬、雪が降り始め、慧可の膝が雪に埋もれても達磨は振り向きもしない。
ついに慧可は自分の求道心を示すために、左肘を斬りおとし、それを達磨に差し出した。「慧可断臂図」は、まさにその瞬間を描いたものである。
何ともドラマチックな場面だが、雪舟のこの作品にはあまり動きが感じられない。2人の人物はまるで壁に張り付けられたレリーフのようだ。身体の輪郭は太い薄墨で一気に描かれ、衣類の表現もシンプルである。
しかし2人の顔、とりわけ眼に注目してみよう。実に精密な描写である。達磨はやや上目遣い。一瞬眼を見開き、「うん? この男、本気だな」とでも心のなかでつぶやいているようだ。
慧可の視線はややうつむき加減。もはや達磨を追ってはいない。眉をひそめ「やはり、だめか」とあきらめたような表情である。雪舟はこの2人の眼を描き分けることにより、相対する人間の間に流れる緊張感を見事に描き上げている。
ちなみに慧可の切り取られた腕の左端には赤い血の線が引かれている。ほとんど誰も気がつかないが、雪舟の細部へのこだわりといえる。
■発見されたもう一つの「慧可断臂図」
この場面の話は、北宋時代に編集された禅の歴史書『景徳伝灯録』に記されているが、じつは今回の展覧会の調査で、江戸時代前期に活躍した白隠(はくいん、1685~1768)にも、同様の「慧可断臂図」のあることが発見された。
白隠作の「慧可断臂図」では、達磨は円相のなかに描かれ、その背後に住まいの茅屋(ぼうおく)がある。慧可は左手をグッと伸ばし、右手の刀でいましも自分の腕を切ろうとしている。
上部には「自分の手を断って心眼を開くなど、なんと無駄な行為だ」との賛がある。雪舟画を意識した強烈なアンチテーゼである。同じ画題ながら何とも違う捕え方だが、その自由闊達さこそ禅の魅力なのである。
この白隠の「慧可断臂図」も、同展で展示されている。ぜひ会場で、両図をあわせてご覧いただきたい。
【臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展「禅―心をかたちに―」】
■会期/開催中 ~ 2016年11月27日(日)
※会期中、一部作品、および場面の展示替を行います。
■会場/東京国立博物館 平成館(上野公園)
■住所/東京都台東区上野公園13-9
■電話番号/03・5777・8600(ハローダイヤル)
■料金/一般1600円(1300円) 大学生1200円(900円) 高校生900円(600円) 中学生以下無料
*( )内は20名以上の団体料金
*障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。
■開館時間/9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の金曜日および11月3日(木・祝)、5日(土)は20時まで開館)
■休館日/月曜日
■アクセス/JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩約10分
東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩約15分
【関連リンク】
※ 悟りの境地を証す禅の至宝がずらり!禅宗の思想と歴史を一気に味わえる「禅-心をかたちに-」展
取材・文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。