文/田中昭三
いま東京国立博物館で特別展「禅―心をかたちに―」が開催されている。日本の禅宗を代表する臨済宗(りんざいしゅう)・黄檗宗(おうばくしゅう)挙げての大型展覧会。多くの国宝・重文が一堂に会し、見応え十分である。
禅宗は坐禅や禅問答などを通して自ら修行することを重視する。そのため他の仏教宗派に比べると仏像は少ないとされる。しかし本展には、仏像ファン必見の傑作がいくつか出品されている。
なかでも注目すべきは、京都府宇治市の萬福寺(まんぷくじ)からお出ましの仏像たち。そのひとつが、「羅怙羅尊者像」(らごらそんじゃぞう)。大きな耳環をつけた羅漢さんが、自分のお腹を両手で大きく切り開いている。中にあるのは、何とお釈迦さんの顔。下手をするとグロテスクになりがちだが、実に品格を備えた尊像である。
なぜ腹を切り開いているのか。それは、どんな人間の心にも仏が宿っているという教えを伝えるためだ。そのものズバリの表現だが、こんな羅漢像はあまり例を見ない。
この羅漢像は、萬福寺の大雄本殿に安置されている十八羅漢像の1体。本展にはそのうちの3体が出品されている。しかしよく見ると、どこか異国風な趣だ。実はこれらの像の作者は、范道生(はんどうせい、1637~1670)という中国清時代の仏師である。
萬福寺は、承応3年(1654)に来日した隠元禅師(いんげんぜんし、1592~1673)が創建。中国禅の伝統を日本に伝えるためである。彼が伝えた禅宗は明治になって黄檗宗と呼ばれるようになった。
隠元は当初日本の仏師に仏像制作を頼むつもりだった。しかしその頃の日本人が作る仏像は、どうも自分の仏法にそぐわないと思えた。
そこで隠元は、范道生という若い仏師に白羽の矢を立てた。范道生は中国福建省の生まれ。中国の仏像彫刻の伝統を学び、かたわら好んで仏画も描いた。ちょうどそのころ長崎の福済寺(ふくさいじ)で仏像を造っており、高僧隠元の指名とあれば断る理由がない。
范道生が萬福寺に滞在したのは寛文3年(1663)10月から翌年の11月まで。わずか11か月だったが、その短い期間に多くの仏像を造り、いま27体が萬福寺に安置されている。驚くべき仕事量だが、なかには日本では平安時代以降衰退した乾漆(かんしつ)造りの仏像もある。何枚もの麻布を漆で貼り重ねる技法で、奈良時代の代表作といえば、仏像人気ナンバー・ワンの興福寺の阿修羅像がある。
もう1体、注目すべき范道生作の仏像が出品されている。近年修復され、全身が輝いている韋駄天像(いだてんぞう)である。日本では足の速い神さまというイメージだが、禅宗では伽藍を守る仏として尊ばれる。寛文2年(1662)、長崎で制作され萬福寺へ送られたことが最近の調査で判明した。
甲冑は明時代の様式を伝え、全体にわたってきめ細かなデザインが施されている。宝剣を水平に保ち、合掌した不動の姿勢で一層の緊張感を生みだしている。ややしゃがんでこの像を見上げると、韋駄天の顔、および腹部にある獅噛(しがみ)という獅子の目線がピタリと一致する。
范道生は萬福寺に滞在後、父親の病気見舞いで一度日本を離れた。再入国しようと長崎に戻った時、江戸幕府の鎖国政策が厳しくなり上陸不許可となった。交渉のさなか船中で病に倒れ、再び日本の土を踏むことなく、わずか36歳で他界。萬福寺は彼の遺作の場となったのである。
【臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展「禅―心をかたちに―」】
■会期/開催中 ~ 2016年11月27日(日)
※会期中、一部作品、および場面の展示替を行います。
■会場/東京国立博物館 平成館(上野公園)
■住所/東京都台東区上野公園13-9
■電話番号/03・5777・8600(ハローダイヤル)
■料金/一般1600円(1300円) 大学生1200円(900円) 高校生900円(600円) 中学生以下無料
*( )内は20名以上の団体料金
*障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。
■開館時間/9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の金曜日および11月3日(木・祝)、5日(土)は20時まで開館)
■休館日/月曜日
■アクセス/JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩約10分
東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩約15分
【関連リンク】
※ 悟りの境地を証す禅の至宝がずらり!禅宗の思想と歴史を一気に味わえる「禅-心をかたちに-」展
取材・文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。