
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第8回、墨俣築城の回、いかがだったでしょうか。
編集者A(以下A):「太閤物」というのは、やはり秀吉が城持ち大名になる前の、墨俣築城のあたりがいちばんおもしろいですね。それを実感する回になりました。蜂須賀小六(演・高橋努)との「友誼」、斎藤軍との攻防、竹中半兵衛(演・菅田将暉)の軍略家ぶり、わくわくする要素がてんこ盛りですからね。
I:確かに、単純にわくわくしますよね。
A:この時期のエピソードは、『おんな太閤記』(1981年)、『秀吉』(1996年)の「太閤物大河」でも設定がまちまちなんです。『豊臣兄弟!』では、小一郎(演・仲野太賀)がいっぱしの武将ですが、『おんな太閤記』ではまだ中村の百姓でしたし。
I:なるほど。秀吉たちの「神話時代」みたいな時期なので、逆に自由に描けるということですね。
A:墨俣一夜城のエピソードは「フィクション」というふうにいわれています。出典が『絵本太閤記』という江戸時代後期の物語と、昭和34年の伊勢湾台風の際に旧家の土蔵から出てきた『武功夜話』というものに限定されているからだと思われます。斎藤龍興(演・濱田龍臣)の居城稲葉山を攻めるには、墨俣拠点だとちょっと遠すぎないか? などの疑問点も出ていたようですね。
I:『豊臣兄弟!』では、現代のプレハブ工法のように資材を運んで、人海戦術で現場で組み立てるという、『秀吉』など、過去の作品でも採用された展開になったのですが、最後に「あ!」といわせるストーリーになっていました。せっかく造り上げた砦が一夜にして、炎上して灰燼に帰すということで、「一夜城」という設定なのが斬新でした。なんだか「やられた!」という感じでしたね。
A:時節柄、「すごい! すごい! すごい!」と表現したくなる膝を打つ展開でした。誰もが「一夜で造った城=短期間で造った城」と思っていたところで、実は「一夜にして炎上、消えた城」だったという設定です。この解釈というか、アレンジは凄い! 油に引火させての大炎上、大爆発も、フィクションだからできた演出です。
I:確かに。小谷城落城の際に、あんな大炎上したら「鼻白み」ますものね。何作も墨俣エピソードをみてきた大人をも唸らせる演出だったということですね。
A:藤吉郎の目の輝き、「良き城であった!」という言葉も素晴らしかったです。感動しました。
秀吉・小六のほんとうの功績は?

I:さて、ということで、墨俣城の築城のエピソードについては、フィクションだという前提で話を進めます。
A:歴史というのは面白くて、「墨俣一夜城」のエピソードがフィクションだったとしましょう。木下藤吉郎秀吉や蜂須賀小六正勝らの活躍がなかったということであれば、織田家による美濃攻略は誰の功績なのか? という問題が出てきます。そして、なぜ、藤吉郎秀吉は織田家の評定に出席ができる地位まで出世したのか、蜂須賀小六はなぜ幕末維新まで阿波徳島藩25万石を治める大名の地位を得たのか、説明がつきません。
I:信長の美濃攻略戦線の中で、秀吉と小六らになんらかの功績があったのは間違いないということですね。
A:『豊臣兄弟!』では、例えば、墨俣は稲葉山から少し離れすぎていないかという疑念に対して、「実は墨俣は、囮(おとり)だった」という解釈で展開されました。蜂須賀小六がわざと斎藤龍興軍に炭と刀を「献上」した際に、伊勢に炭を運ぶということを斎藤軍の武士に伝える場面も、過去の「太閤記物大河ドラマ」の定石通りならば、蜂須賀小六の「伊勢に炭を運ぶ」という言を信じて、「織田軍は美濃ではなく、伊勢を攻めようとしている」と斎藤龍興に報告する流れになったのでしょう。
I:秀吉が地図を前に「松倉城(岐阜県各務原市)」のことに触れていました。
A:マニアックな話になりますが、しっかりした文書で秀吉が初めてその存在が登場するのが永禄8年(1565)に松倉城の城主坪内利定に宛てた信長の書状に、秀吉が「木下藤吉郎秀吉」の名で副署したものです。先ほども触れましたが、『おんな太閤記』や『秀吉』などの過去の大河ドラマでも、墨俣一夜城のエピソードは取り上げられています。いずれも織田軍は伊勢に攻め込むつもりだという流言を広めていました。いずれにしても、墨俣築城あたりの藤吉郎・小一郎コンビの躍動ぶりは、太閤記物のなかでもいちばんおもしろい部分ですよね。
竹中半兵衛を演じるのは菅田将暉さん!

I:ちょっと整理しましょう。
A:重臣のなかから出陣してきて、小一郎とともに北方城(岐阜県北方町)を攻めていたのは森可成(演・水橋研二)です。森氏はもともと美濃の土岐氏に仕えていた経歴がありますから、そうした縁で今回の美濃に出陣してきたという設定でしょう。
I:重臣の森可成が映像上、単身でやってきたかのような場面でした。ところが、そのことが事前に城を守る安藤守就(演・田中哲司)に露見していたという筋書き。見破ったのが竹中半兵衛なのです。よく竹中半兵衛を「その容貌、婦人が如し」と記録されているというネット記事が散見されますが、『豊臣兄弟!』での菅田将暉さんの半兵衛は、線が細くてちょっと女性っぽい感じがするのは、そういう竹中評を掲示した史料を意識したキャスティングなんだと思いました。
A:竹中半兵衛を女性っぽいと評した書物に、江戸中期の明和7年(1770)に完成した『常山紀談(じょうざんきだん)』があります。岡山藩の儒学者湯浅常山がまとめた説話集です。昨年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第1回の明和の大火が明和9年(1772)ですから、その頃にできた説話集になります。竹中半兵衛については「以下略」の部分も含めて6行ほどで記述されています。
竹中半兵衛重治は美濃の菩提の城主なり。後に秀吉の軍(いくさ)奉行たり。謀略有る人なれども、打見たる處は婦人のごとし。軍に臨む時も猛威たる事なし。馬の皮にて包める甲を着、木綿の羽織、一の谷と名付けたる兜の緒をしめ静り返りて居りけり。重治向かふ度ごとに、士卒戦ずして既に勝ちたりと勇みあへり(以下略)。
とあります。
I:なるほど。ぱっと見女性のような容貌で、合戦の際も、勇猛な感じはしなかったけれども、半兵衛が出陣するだけで士卒らは、「勝ったも同然」と勇み合ったと記述されているんですね。
A:あえて、原典の『常山紀談』を引用しました。冒頭の「菩提の城主」というのは、半兵衛の居城「菩提山城(岐阜県垂井町)」のことですね。ただ、同書の成立は、半兵衛らの時代からおよそ200年経過していることにご留意ください。
I:200年! どこまで真実を伝えているのでしょうか。ちなみに、過去作の竹中半兵衛ですが、『秀吉』(1996年)では古谷一行さん、『功名が辻』(2006年)では、筒井道隆さん、『軍師官兵衛』(2014年)では谷原章介さんが演じていますね。
繰り返しスーパーで「墨俣砦」と記載されるわけ

A:さて、今週の第8回は、タイトルが「墨俣一夜城」ということでしたが、劇中では幾度も「墨俣砦」とクレジット(字幕スーパー)されたのが印象的でした。前週にも触れましたが、かつて『秀吉』で時代考証を担当した小和田哲男先生がご著書で、「名前は墨俣城と言っているが、実際は砦なので、せいぜい柵と物見の台がある程度にしてほしい、と注文をつけた」というエピソードがあることが知られていますが、案外今回も時代考証担当の先生方から、「砦ですよ」と注文が入ったのかもしれませんね(笑)。
I:ああ、そういう攻防あるのかもしれないですね。
A:そんな中で、小一郎と祝言をあげる約束を交わしたばかりの直が亡くなるという展開になりました。
I:この展開、ちょっと納得がいきません! 別記事で思いを吐露したいと思います(「幸せ絶頂からの大暗転!」小一郎と祝言直前の「直の死」がどうしても納得できない! 【豊臣兄弟! 満喫リポート】直編 https://serai.jp/hobby/1257777)。
A:あ、実はこのタイミングで、岐阜県大垣市の「墨俣一夜城」に行ってきました。こちらも別記事でまとめてあります。

●編集者A:書籍編集者。かつて編集した『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











