文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「たそがれに咲ける蜜柑の花一つ老ひの眼にも見ゆ星の如くに」
--谷崎潤一郎

最晩年の谷崎潤一郎が、愛した湯河原の風景を詠んだ歌である。

顧みれば、近代の文人中、いち早く湯河原の魅力を発見し世に広めたのは、詩人で作家の国木田独歩だったろう。今でこそ鉄道や道路
も整備され交通の便のいい湯河原だが、ひと時代前は違っていた。

明治後期、国木田独歩がやってきた頃は、小田原・熱海間は旧道の路面に敷いたレールの上を、2、3人の車夫が客車を押したり引いたりしながら進む人車鉄道が走る時代。湯河原へは、それを門川で降りて馬車か人力車を使う。

それでも、独歩は、雲の向こうの仙境にでもあそぶ心地で湯河原を目指したのだろう。小説『湯ケ原ゆき』の中で、独歩は湯河原の渓谷へ踏み入ったときのことを「さながら雲深く分け入る思い」と表現した。

古くは『万葉集』に「足柄の土肥の河内にいづる湯の」云々と歌われ、江戸期には湯治場として利用されてはいても、独歩以前の湯河原は一般旅客を集める観光地ではなかった。

その後、次第に文人墨客の好んで訪れるところとなった湯河原は、夏目漱石の小説の舞台にもなった。漱石は保養のため、大正4年(1915)11月と翌年1月の二度、学生時代からの友人で満鉄総裁の中村是公に誘われ湯河原に滞在。その体験を、絶筆となった未完の作品『明暗』に盛り込んでいるのである。

漱石の愛弟子の芥川龍之介の『トロッコ』(大正11年)も、湯河原を舞台とする作品。前記の人車鉄道を軽便鉄道へと転換する改修工事の際、土運びに使われたトロッコが小説の題材となっている。

温暖で自然豊かな湯河原は、終の住処にも適していたのだろう。山本有三は昭和28年(1953)12月、66歳で湯河原町宮上に転居し、没するまでの20年を過ごした。居宅周辺を「理想郷」と称する惚れ込みようだった。

文壇随一の「引っ越し魔」とも言うべき谷崎潤一郎も、最後の最後、昭和39年(1964)7月、78歳の折に、湯河原町吉浜の高台に「湘碧山房」を築いて移り住んだ。左手に真鶴半島、右手に伊豆半島、正面に初島を望む海の眺めは抜群で、周りを囲む蜜柑畑からは甘やかな匂いが山房内に漂ってきたという。

掲出のような円熟の一首を残し、転居の翌年7月、谷崎は鬼籍に入ったのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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