文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「あはれひとつの息を息づく」
--永井ふさ子

永井ふさ子は、明治42年(1909)愛媛・松山に生まれた。地元で病院長をつとめる父親は、正岡子規の遠縁にあたる幼友達でもあり、子規のことを「のぼさん、のぼさん」と呼びながら、いろいろな話を聞かせたという。

この父は、松山高等女学校を卒業したふさ子を、大阪女子医専で学ばせて女医にしたいと思っていた。だが、ふさ子はこれに反発するように東京・本郷の東京女子高等学園に進学。ほどなく肋膜炎をわずらってしまい、帰郷して療養に専念し、いったんは快方に向かったが、その後、腎臓炎を併発して腎臓摘出の手術も受けた。この療養生活が、ふさ子を短歌づくりに親しませる契機となった。

正岡子規の33回忌の年にあたる昭和9年(1934)9月、東京の向島百花園で、子規門の流れをくむ短歌結社アララギによる正岡子規忌歌会が開かれた。ふさ子も、結婚して東京で暮らす姉のもとを頼りながら、これに参加した。そして、初めて斎藤茂吉と対面した。

そのふた月後、奥秩父でのアララギの吟行会が催され、混雑する帰りの電車で、二人分にはちょっと狭い空席に、ふさ子と茂吉は並んで腰掛けた。ふさ子の柔らかな肌の感触が、衣服を貫いて茂吉の体の芯にまでしみていった。茂吉はこの頃、妻と別居中の身だったのである。

それからさらにひと月後、茂吉が親しい弟子たちを呼んでトロロ飯を食べる「とろろ会」にも、ふさ子の姿があった。帰途、兄弟子のひとりがふさ子に茂吉の家庭事情をさりげなく話したのは、茂吉の意志によるものだったのかどうか。ふさ子は同情と軽い義憤を感じ、それがやがて恋情へとうつろっていく。

恋に落ちた茂吉は、なんとも率直かつ赤裸々な文を綴る。

「実際たましひはぬけてしまひます。ああ恋しくてもう駄目です」
「ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか」

文面からもわかる通り、いつかふたりは男女の一線を越えていた。あるときは、茂吉が自ら恋愛歌の上の句をつくり、ふさ子に下の句をつくるように懇望したこともあった。そうして、できあがったのが、掲出のことばを含む次のような短歌だった。

「光放つ神に守られもろともに あはれひとつの息を息づく」

秘めたる恋が結婚にむすびつく帰結を、ともに夢見たひとときもあったのだろうか。

だが結局は結ばれぬ仲。別離が訪れる。ふさ子にはこの頃、結婚の話もあったが、茂吉と別れると同時に婚約も解消。生涯、独身を通した。

絶対に他人の目に触れしめず、読み終わったら焼却するように。茂吉から再三にわたってそう伝えられていた手紙を、ふさ子は焼かずに大切に手元に置いていた。そしてその手紙は、茂吉の死から10年後の昭和38年(1963)、雑誌誌上に発表された。世間はもちろん、斎藤家の家族も、この時初めて、茂吉の隠された恋を知ったのだった。女の情念のなせるわざと言うべきか。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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