「私は豆腐屋のような映画監督なのだから」(小津安二郎)【漱石と明治人のことば191】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「私は豆腐屋のような映画監督なのだから、トンカツを作れといわれても無理で、せいぜいガンモドキぐらいだよ」
--小津安二郎

黒澤明と並んで世界的名声を誇る映画監督の小津安二郎は、明治36年(1903)東京・深川で生まれ、父親の郷里である三重県松阪市で育った。小学校の代用教員をつとめたあと、松竹キネマ蒲田撮影所に撮影部助手として入社。助監督を経て監督となった。

意外なことに、監督第1作は『懺悔の刃』という時代劇だった。昭和4年(1929)封切りの『大学は出たけれど』は、大学生の就職難という当時の世相をとらえ、流行語にもなった話題作。第2次大戦末期には、戦争映画を撮る目的で、陸軍報道部映画班員としてシンガポールに従軍させられるが、作品は作らずじまいであった。

戦後の小津は、『晩春』『麦秋』『東京物語』『早春』『秋刀魚の味』などの名作によって、日本人の心を描きつづけた。作為に満ちたドラマティックな作品づくりはせず、畳の上に座った日本人の目の高さを基準とする独得のローアングルを基本に、日本的な生活のたたずまいを見つめつづけた。

掲出のことばは、そんな小津安二郎の残した名言。一見、謙遜のように響くことばの中に、強い自負心と映画哲学がにじみ出る。松竹編『小津安二郎新発見』のページを繰ると、それを裏付けるように次のようなことばも並んでいる。

「社会性がないといけないと言う人がいる。人間を描けば社会が出てくるのに、テーマにも社会性を要求するのは性急すぎるんじゃないか。ぼくのテーマは『ものの哀れ』という極めて日本人的なもので、日本人を描いているからにはこれでいいと思う」

「映画には、文法がないのだと思う。これでなければならないという型はない。優れた映画が出てくれば、それが独得の文法を作ることになるのだから、映画は思いのままに撮ればいいのだ」

昭和38年(1963)12月12日、満60歳の誕生日、還暦を迎えたその日に病没。生涯、独身だった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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