文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「史劇というものは、一面にその時代の空気を現わすと同時に、その人物を象徴として近代の思想を説明するものだ」
--岡本綺堂

岡本綺堂は明治5年(1872)東京・芝高輪に生まれた。本名は敬二。父親はもと徳川家の御家人で、この頃は横浜英国大使館で働いていた。当時の社会情勢として、幕臣の子は官途に望みが薄かった。綺堂自身がのちにこう綴っている。

「私は維新の革命に敗れた佐幕党の子である。(略)私は明治五年に生まれて、恰も藩閥政府全盛の時代に成人したのである。その時代に於ける士族系統の人間の出世の目標は『官員さん』であったが、藩閥に何の縁故も無いどころか、藩閥の敵であった我々子弟は、その方面に出世の望みはなかった」(改造社版『岡本綺堂全集』第1巻はしがき)

そんな事情から、綺堂は十代半ばから筆で立つことを考えた。中学卒業後、東京日日新聞の発行所である日報社の見習記者となったのがその出発点。以降、中央新聞社、絵入日報社、やまと新聞社、東京日日新聞社など、籍を変えながらも、大正2年(1913)まで24年間にわたって新聞記者として筆をとった。傍ら、『白虎隊』や『修善寺物語』などの劇作を手がけていった。

掲出のことばは、そんな岡本綺堂が己の作品づくりについて語ったもの。歴史に材をとった物語を書くにあたっては、当然のことながらその頃の時代の空気を伝えねばならないが、ただ古いものを描くだけでは魅力はない。現今の観客の心をつかむためには、登場人物を介して、今につながる思いや生きざまを訴えねばならないということだろう。

たとえば、綺堂は、承久の乱前後の宮廷や武士の軋轢を描いた劇作『承久絵巻』を今のことばでつくりあげ、「現代語で書いた史劇の初め」という評価も得ている。

新聞記者生活に終止符を打った頃には、岡本綺堂は劇作家として確固たる地位を築いていた。彼の作品は劇界でも「綺堂もの」という特別な呼称で呼ばれた。

文筆一本の生活に入った綺堂は、活躍の幅をさらに広げ、新聞に長篇小説を発表する一方で、雑誌に『半七捕物帳』『三浦老人昔話』『青蛙堂鬼談』などの読物を書いた。

とりわけ、大正5年(1916)から昭和11年(1936)にかけて69篇紡がれた『半七捕物帳』は、捕物帳形式の推理小説の嚆矢(こうし)といわれる。その下敷きとなったのは、英語の堪能な綺堂が読破した海外の推理小説群であったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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