今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「ただ此処に ぽつんとゐればいいのだ」
--草野天平
一昨日紹介した詩人の草野心平には、民平と天平というふたりの男兄弟がいた。彼らも詩人であった。
心平より4つ年上の兄・民平は、大正5年(1916)、17歳で早世した。あとに、詩や歌を綴ったノートが残されていた。心平はこの早熟な兄のノートに刺激を受け、詩を書き始めたという。
心平が処女詩集『廃園の喇叭』を世に出したのは、兄の死から7年が経過した大正12年(1923)。20歳の心平が徴兵検査のため一時帰郷した際、母校の小学校の謄写版を借り、自ら原紙を切って印刷したのである。
この処女詩集も、正確には、兄・民平の遺稿と心平の作品とで構成された共著と呼ぶべきものであったという。
一方、弟の天平は心平より7つ年下の明治43年(1910)生まれ。昭和27年(1952)に42歳で没している。求道的精神の持ち主で、晩年は比叡山に山籠もりしていたという。
そんな天平の残した詩のひとつが、掲出のことばを含む下記のようなものだった。
「人は死んでゆく
また生れ
また働いて
死んでゆく
やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない
力むこともない
ただ此処に
ぽつんとゐればいいのだ」
詩の題名は「宇宙の中の一つの点」。人間はほんとにちっぽけな存在に過ぎない。与えられた命を、肩の力を抜いてありのままに生きればいい。
そこには、心平にも共通する宇宙観を読み取ることができるだろう。心平も、原稿用紙の真ん中に点(・)だけを書いて、ひとつの詩作品として発表したことがあった。
心平は昭和63年(1988)85歳で没した。兄の民平や弟の天平に比すると、随分と長命であった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。