文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「画趣豊かな地方を見歩くということは、画家にとっては最上の幸福である」
--竹内栖鳳

竹内栖鳳(せいほう)は元治元年(1864)京都に生まれた。本名は恒吉。10歳年上の姉・琴との、ふたり姉弟だった。生家は川魚料理屋。父が料理に腕をふるい、母が店を切り盛りしていた。

明治10年(1877)にその母親が病没。姉の琴が家でも店でも、母の代役をこなしていくことになる。本来は店の跡継ぎである長男の栖鳳が、絵の道に没頭できたのも、この姉の支えによるところが大きかった。そもそも栖鳳が土田英林のもとに通って絵を学びはじめるのは、母の逝去と同じ年なのである。姉の琴は店を守りながら、生涯独身を通したという。

栖鳳はその後、円山四条派の幸野楳嶺(ばいれい)の私塾に入門し、まもなく頭角をあらわしていった。明治25年(1892)の京都市美術工芸品展に出品した『猫児負暄(びょうじふけん)』では、諸派の画風がまざりあったものとして「鵺(ぬえ)派」と揶揄されたりもしたが、これはむしろ栖鳳が独自の歩みを模索したひとつの成果だったのかもしれない。ちなみに鵺は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇に似ている、伝説上の怪獣である。

明治33年(1900)、栖鳳は農商務省と京都市から支給を受けて渡欧。パリ万博を視察するとともに、各国の美術館や美術学校を訪問して見聞を広め、西洋画の技法をも自分の中に取り込んだ。そうして生まれたのが、遠近法を意識した風景画『羅馬之図』や、写実的なライオンの絵『大獅子図』だった。

さらに晩年の栖鳳は、筆の画数を減らした「省筆」と呼ばれる画境を拓いた。少ない本数の線で、対象の特徴を的確に把握し描出したのである。

栖鳳はまた、後進の育成にも熱心だった。画塾「竹杖会」を主宰し、上村松園、土田麦僊、橋本関雪ら多くの俊英を育てた。

栖鳳は水郷の風景を愛したことでも知られる。掲出のことばも、水郷の町、潮来(茨城県)を旅したときの感想を述べたもの。栖鳳はこうも言っている。

「画家としての私があの水郷を舟に乗り、微に入り細に入って見歩いていると、至る処画趣に富んでいて飽きることを知らない」

画業を天職とし、つねに画家としての感性を働かせている栖鳳にとって、絵心をかきたてる風景や文物との邂逅はこの上ない喜びであったのだろう。

そういえば、やわらかな猫の毛並みを見事に描き出した名画『班猫(はんびょう)』も、静岡・沼津の八百屋の店先で一匹の猫と出会ったことから生まれたものであったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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