今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウナ気ニナツテ愉快デタマラヌ」
--正岡子規

夏目漱石の親友だった正岡子規は、若い時分はなかなか活発なものであった。まだ「野球」という邦語が根づいていない時代のベースボールに熱中する一方で、旅行好きであちこちを旅して歩いた。俳聖芭蕉の足跡を追ったりもしている。明治20年代半ばに撮影された草鞋履きで笠を携えた子規の旅姿の写真は、江戸の残り香を強く感じさせるという意味からも、興趣をそそられる。

もちろん、子規の胸の中には、当時の若者の多くがそうであったように、洋行への憧れもあった。

ところが、子規は肺結核から脊椎カリエスを発症し、旅行どころか歩行困難となる。伸びなくなった左膝を曲げたまま使えるよう、愛用の座机に切り込みを入れたのも束の間、ついには座すこともできなくなり寝ついてしまう。いわゆる「病床六尺」の世界である。子規は綴る。

「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある」

そんな最中の明治33年(1900)秋、漱石は文部省派遣の留学生としてイギリスへ赴く。そして、子規あてに何枚ものロンドンの絵葉書を送り、また手紙を綴る。病床の友を、少しでも慰めたいという思いがあったのだろう。

子規はそれらを見て、想像力をふくらませ、まるで自分がヨーロッパを旅しているような気分にひたるのである。この頃の子規は、門弟の寒川鼠骨から贈られた直径3寸(約9センチ)の小さな地球儀も、身近に置いていたらしい。

子規は漱石への返書に綴った。

「僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガツテ居タノハ君モ知ツテルダロー。ソレガ病人ニナツテシマツタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウナ気ニナツテ愉快デタマラヌ」

さらに食いしん坊の子規らしく、こんなひとことも書き添える。

「倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」

切ない。読んだ漱石の目にも、涙が浮かんだだろう。

子規がこの手紙を書いたのは明治34年(1901)11月6日。はるばると海を越えて、おそらく12月下旬にロンドンに届いたであろうこの手紙が、子規から漱石宛ての「最後の書簡」となった。子規と漱石は、二度と生きて会うことは叶わなかったのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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