今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「私この小泉八雲、日本人よりも本当の日本を愛するのです」
--小泉八雲

小泉八雲(こいずみ・やくも)は、ギリシア生まれのアイルランド人。日本名に改める前の名はラフカディオ・ハーンだった。

明治23年(1890)に来日。松江、熊本で英語教師をつとめたのち、6年半にわたって東京帝国大学で英文学を講じた。イギリス留学から帰国した夏目漱石と入れ代わる形で東京帝国大学を退官し、早稲田大学に籍を移した。日本の怪談の再話の他、『知られぬ日本の面影』『心』などに日本と日本人を書いた。

掲出のことばは、小泉八雲が節子夫人に語ったもの。節子夫人が回想録『思い出の記』の中に書きとどめている。

実は、小泉八雲が40歳の春に来日した当初の目的は紀行文の取材。滞在予定はわずか2か月だったという。ところが、すぐに日本の風俗文化の魅力にとりつかれる。八雲は着物姿で正座し、煙管や箸を使う暮らしに没入し、武家の娘である節子夫人を娶り、学校教師として働く傍ら著作をまとめ、結局は、54歳で没するまでの残りの歳月を日本で過ごしたのである。

そうした生活の中で八雲には、通常、西洋人の耳には雑音としか響かない蛙や虫の声を愛でる心までが芽生えていった。蛙の鳴き声を「一種特別な哀感をともなって、人の心を惻々と打つ」と聞くにまで至った感性は、西洋文明の模倣に奔走しはじめていた当時の日本人以上に日本的であったのかもしれない。小泉八雲自身も、そのことを感じていたのではないだろうか。

節子夫人は、こんな八雲の台詞も書きとどめている。

「日本に、こんなに美しい心あります。なぜ、西洋の真似をしますか」

島根県松江市に小泉八雲記念館があり、私は繰り返し訪れている。館内に多くの関連資料が保存・展示される中、妙に心ひかれるもののひとつが八雲遺愛の坊主頭の人形である。

背丈は30センチ弱。垂れ目で低い鼻。唇には着物と同じ橙色の紅をさし、見るからに呑気そうな顔つき。その名も「気楽坊人形」。

八雲は眼が悪かった。16歳で左目を失明し、右目も極度の近視。そのため、脚高の書斎机を特注し、机に顔をこすりつけるようにして執筆や書見に励んでいた。疲れた折、八雲の気鬱を晴らしてくれるのが、傍らにおいていたこの気楽坊人形だったという。

もしかすると、この人形、漱石にとっての猫の存在と似たようなところがあったのだろうか。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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