今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「私達が御飯をこぼしたり、お芋をころがしたりして、大騒ぎをしながら食べている処へ、『どれ、どれ、今日は何を食べているのかね』と、父はよく、のぞきに来たものでした」
--松岡筆子
松岡筆子は夏目漱石の長女。漱石没後、漱石の晩年の弟子のひとりの松岡譲と結婚して松岡姓となった。
掲出のことばは、その筆子が随筆『夏目漱石の「猫」の娘』の中に記したもの。漱石の家庭の中における素顔の一端が伝わる。
漱石は胃に持病があったが食べることは好きで、また、明治の厳父として恐いところもあったが、なかなか子煩悩でもあったようだ。いたずら盛りの小さな子がたくさんおり、皆で落ち着いて楽しく食卓を囲むということはできず、また日々締切りに追われる仕事との兼ね合いもあったのだろう、漱石はいつも家族とは別にひとりで食事をしていた。そのため、子どもたちが夕食を食べているところを、こんなふうに覗いていたのである。
この随筆によると、筆子の母(漱石の妻)の鏡子は、料理は苦手で心配りが行き届かない。漱石がスキヤキを食べて「おいしい」と一言もらしたが最後、それこそ、10日でも20日でもスキヤキを出し続けた。そうなると漱石も妙な対抗心を燃やし、「こいつ、いつまで続ける気だ。こうなったらこっちも意地だ。いつまで続けやがるか見届けてやれ」とばかり、素知らぬ顔でスキヤキを食べ続けたという。そこまで、やりますかねえ、ふたりとも。
鏡子は熊本で一度、流産を経験している。その後、ひどいヒステリー症状から、夜半に家を飛び出し近くの川で投身自殺を企てたこともあった。漱石はそれからしばらく、そんな鏡子の手首と自分の手首とを紐で結んで寝たという。そのしばらくあとに、筆子が生まれたのである。
筆子という名は、鏡子が悪筆だったことから、生まれてきたこの子は字が上手になるようにとの願いを込めた命名だったらしい。
漱石は赤ん坊の筆子を自ら抱いては「高い、高い」をしたり、あやして笑わせようと、懸命にいろいろなことをしたという。大文豪である前に、娘を愛するひとりの平凡な父親であった漱石の姿が偲ばれる。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。