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田中角栄の母が故郷を離れる息子に伝えた“男の矜持”とは【漱石と明治人のことば182】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「男は腹巻に必ず10円札1枚入れておきなさい。どこで事故があって死んでも無一文では笑われます」
--田中フメ

田中フメは典型的な「明治の母」だった。雪深い新潟で生まれ育った働き者で、まだ幼い息子が夜トイレに起きると、母のフメはいつも必ず何か仕事をしていたという。

フメが生まれたとき、親がつけた名前は本当は「ヒメ」だった。ところが、村役場に届け出たところ、役場の方で間違えて「フメ」にしてしまった。後年、このことを口にするとき、自ら「フメでよかった。ヒメなら大変なヒメだ」と言って笑っていた。

大正6年(1918)5月4日、フメは次男を産んだ。長男は夭逝してしまっていたため、実質的には長男となる息子だった。牛馬商をしていたフメの夫の角次は、この息子を角太郎と名づけようとした。だが、フメが「私の生まれた家の隣に『角太郎』という犬がいます」と反対した。フメのこのことばで、息子は角太郎でなく角栄と名づけられた。

フメは働き者でも、角次が事業に失敗したため、家は貧しかった。そのため、息子の角栄は尋常高等小学校を卒業すると、しばらく地元の土木派遣所で働き、15歳で上京した。東京では井上工業という土建会社で、住み込みで働くことになっていた。

このとき、故郷を離れる息子に対し、フメが10円札を渡しながら言ったのが掲出のことば。15歳の少年に、強い覚悟を促している。他に、こんなことも言い聞かせたという。

「世の中には働いてから休む人と、休んでから働く人がいる。お前は働いてから休む人になりなさい」

「人にお金を貸したらそれは忘れなさい。悪いことをしないと食べていけなくなったら、いつでも帰ってくるんだよ」

昭和47年(1972)7月、フメの息子の田中角栄は、自民党総裁選でライバルの福田赳夫を破り、新潟出身者として初の総理大臣となることが決まった。ことが決する少し前から、角栄の勝利を見越して、多くの支援者やマスコミ関係者が新潟の角栄の実家につめかけ、フメを取り囲んでいた。

テレビのブラウン管の中の角栄は、いつものことながら大汗をかいて、しきりに扇子で自分を仰いでいた。それを見ていたフメは、ふっと立ち上がった。そして、手にしたハンカチで、大映しになった画面の中の息子の顔を、そっと拭ったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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