今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「良き後継者を得た」
--木村義雄
かつて将棋の名人位は世襲制であった。それが実力制となって名人戦が始まったのは昭和10年(1935)。時の名人(13世名人)である関根金次郎の決断によるものだった。2年かがりの勝負が繰り広げられ、第1期名人の座についたのは関根門下の木村義雄だった。
木村は明治38年(1905)、東京・江東区の生まれ。11歳で関根金次郎に入門。書生や給仕をしながら修業を積み、入門後10年で当時最高位の8段にのぼりつめた。傍ら、慶応大学普通部に通い漢学をおさめ、報知新聞の嘱託社員として解説、講評にも腕をふるったという。
第1期名人となった木村は、その後、土居市太郎、神田辰之助らの挑戦をしりぞけ、連続5期(10年間)、「無敵名人」として君臨。相撲の大横綱・双葉山と並び称された。
第2次大戦後の昭和22年(1947)、惜しくも第6期名人戦で塚田正夫に敗れるが2年後には返り咲き。その後、つづけて大山康晴、升田幸三といった新鋭を打ち破るも、昭和27年(1952)に大山の再挑戦を受けて敗退、引退を決意した。その際、木村義雄が引退声明とともに発したのが掲出のことばである。
勝負の世界における世代交代のひと幕だろうが、日本将棋連盟の前身である将棋大成会の会長として、棋士の社会的地位の向上や将棋文化の発展にも意を注いできた木村だから、胸にはより深い感慨があっただろう。大山はこのあと、木村に託された期待を背負い、名人13連覇、通算18期の大記録を打ち立てていく。
あれから65年。今、中学生棋士の藤井聡太4段の活躍が世間の耳目を集める。だが、彼の棋士人生はスタートしたばかり。次代を担う名棋士となるのは、まだまだこれから。かつて同じ中学生棋士としてデビューした加藤一二三、谷川浩司、羽生善治の諸先輩は皆、努力をつづけ、名人、王将、竜王など、いくつものタイトルを獲得している。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。