今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「三十一から二、三としてきたら『悪い洒落はよせ』と云われたので三十三で留めておいたが、三三と重なるのは姓名判断上極悪であるという、どうもそういうものらしい」
--直木三十五

上に掲げたのは、作家の直木三十五が雑誌『文藝春秋』の大正15年(1926)1月号に発表した随筆の中の一節である。直木はつづけてこう記している。

「余り貧乏が長すぎる。素人考からいっても『味噌蔵(みそぞう)』だの『散々』だのと通じては縁起でも無いと、(略)一躍四を抜いて三十五になる所以である」

随筆の題名は『改名披露その他』。つまりは、自身のペンネームについて述べた文章なのだが、少しわかりにくいところがあるので、以下に改めて整理してみよう。

明治24年(1891)大阪市の生まれ。本名は植村宗一という。それが、初めてペンネームを用いるに際し、直木三十一という名を選んだ。植村の「植」の字を分解して「直木」。これに、数え年で31となる当時の年齢を組み合わせたのである。

その後、年齢を重ねるごとに名前の数字を増やし、三十二、三十三と改名していった。だが、周囲から「悪い洒落はよせ」と注意され、また三十四に変えるのは「惨死」にも通じると思い、しばし三十三でとどめておいた。

ところが、三三と重ねるのは姓名判断の上からは最悪であると指摘する者があった。そう言われると、ずっと貧乏なままなのも、そのせいかもしれぬ。「味噌蔵」とか「散々」という語句に音が通ずるのも、好もしくない。この際だから、「惨死」に通じる三十四も飛ばして、以降は「直木三十五」と名乗ることにする。そう宣言しているのである。

オモロイことを好む大阪人気質と、ちょっと斜に構えた反骨の気概が、このペンネーム変遷のエピソードにもあらわれているようだ。

直木は旧制中学を卒業後、代用教員などを経て上京した。早稲田大学予科英文科に入学するが学費未納のため除籍。その後、出版社を創立したり映画製作に携わったりするが思うように運ばず、次第に文筆に専念する。『由比根元大殺記』で注目され、『南国太平記』で流行作家となった。

無帽、無マント、主に和服で過ごし、寝て書く習慣があり、1時間に15枚書き上げるほどの筆の速さ。一方で、浪費癖があり、いくら書いても貧窮に苦しんだが、本格的な歴史小説から、現代もの・未来小説まで手がけ、大衆文学の芸域を広げるとともに質的な向上に貢献した。

30代終わり頃から健康を害しつつも、病躯に鞭打つように筆を走らせ、昭和9年(1934)2月24日、43歳の若さで逝った。新聞はその死を「武士の斬り死」にたとえた。盟友の菊池寛は、まもなく発行された雑誌『文藝春秋』(昭和9年4月号)にこう綴った。

「親しい連中が、相次いで死んだ。身辺うたた荒涼たる思いである。直木を紀念するために、社で直木賞金というものを制定し、大衆文芸の新進作家に贈ろうかと思っている。それと同時に芥川賞金というものを制定し、純文芸の新進作家に贈ろうかと思っている」(『話の屑籠』)

こうして、直木賞と芥川賞が制定されたのである。そして今日7月19日は、第157 回となる両賞の選考がおこなわれる。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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