今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「小さくなって懐手して暮したい」
--夏目漱石

大正3年(1914)3月22日の大阪朝日新聞に掲載された夏目漱石の談話筆記『文士の生活』の中のことばである。前後を含め3行を改めて記すと次のようになる。

「明窓浄机。これが私の趣味であろう。閑適を愛するのである。
小さくなって懐手して暮したい。
明るいのがよい。暖かいのがよい」

明るく清潔な書斎で、心を安んじていたい。何かを声高に叫んだり、あたふたと動き回ることもなく、ひっそりと静かに暮らしていれ
ばよい。漱石晩年の、ひとつの悟達の域であるとも言えるだろう。

『甲賀忍法帖』『警視庁草紙』などの作品で知られる作家の山田風太郎は、夏目漱石の生き方やことばに深い共感を抱いていた。古書店から入手の、漱石自筆の手紙も所有していた。いつも漱石の息吹にふれていたいがため、風太郎はこれを額装し客間に飾っていた。私も一度、取材に訪れた山田家で、この手紙を見せてもらったことがある。巻紙に墨跡あざやかな森鴎外あて書簡であった。

掲出のことばも、風太郎の心を印象深くとらえたもののひとつだった。随筆『死言状』に、風太郎はこう綴っている。

「『小さくなって、懐手をして暮したい』というのは漱石の言葉だが、これは雲隠れ願望の希薄なもので、私などもしみじみとこれに共鳴している。私はずいぶん時代錯誤な一つの夢を年来持っている。それは虚無僧か何かになって、笛を吹きながら北陸か山陰の田舎を廻りつつ、どこかで野たれ死(じに)したいという夢である」

漱石の悟達の境地に、風太郎は飄々と虚無の風を吹き込んでいる趣がある。

山田風太郎は、皆が敬遠しがちだった「死」という主題を正面から見据えた作家でもあった。名著『人間臨終図巻』が生まれたのもその成果。古今東西の著名922 人の死にざまを描くことで、「ああ、人はこうやって死んでいくのか」という諦念の向こうの安心立命を、読者の前に現出してみせたのである。

実生活でも自らの墓地や戒名を早々に定め無葬式を宣言。墓石にはただ「風ノ墓」とのみ刻むよう、夫人に言い遺していたという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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