新着記事

ザルツブルクの町

門をくぐれば巡礼の道。モーツァルト生誕の地「ザルツブルク」の知られざる絶景ポイントを歩く(オーストリア)

お子さんが自立したこともあり、ロードスターを購入してからは奥様と2人で出かける機会が増えたそう。

【私のクルマ遍歴】事故でフロントが破損した『NCロードスター』。奥様の理解と後押しでより魅力的なフォルムに生まれ変わる(後編)

茂幸さんの愛車は、ブラックのボディカラーが希少なオープンカー。その出会いと物語は【後編】にて語ります。

【私のクルマ遍歴】仕事や家庭に翻弄され、『カリーナ』『チェイサー』『ミラージュ』『ギャラン』と、何台も乗り換えた青春時代(前編)

横瀬浦公園(長崎県西海市)にあるルイス・フロイス像。

なぜイエズス会は長崎で多くの信者を獲得できたのか?【半島をゆく 歴史解説編 西彼杵・島原半島3】

拾った猫の扱いや地域猫活動は法律的にどうなのか?|『ねこの法律とお金』

拾った猫をそのまま飼ったらどうなる?|『ねこの法律とお金』

ものぐさでもOK!後ろからでも前からでも履ける画期的スリッパ

死絵展・八代目市川団十郎安政元年(1854)頃①

有名人の訃報を知らせる錦絵|もっとも多く死絵の題材となったのは八代目市川団十郎【企画展「死絵 ~明るく笑ってさようなら~」】

【家族のかたち】姉が離婚後に独身を貫く理由。子供の頃の記憶は大人になっても忘れることはない~その2~

【家族のかたち】姉が離婚後に独身を貫く理由。子供の頃の記憶は大人になっても忘れることはない~その2~

【家族のかたち】異父姉弟の事実を知ったのは小学生の頃。前後で家族の仲に変化はないように見えていた~その1~

【家族のかたち】異父姉弟の事実を知ったのは小学生の頃。家族の仲に変化はないように見えていた~その1~

アメリカ訪問時の一葉(前列左からふたり目が小栗上野介・東善寺蔵)

明治政府が最も恐れた男・小栗上野介が罪なくして抹殺された理由【検証 「徳川近代」 原田伊織氏インタビュー 3】

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号

シニア住宅特集アンケート実施中です!

別冊付録「大人の逸品カタログ」商品はこちらから

ピックアップ記事

  1. オリックス・リビング社長、森川悦明氏。「グッドタイム リビング センター南」にて撮影。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

趣味・教養

「ひとつぼの灰と汝はなりにしを」(海音寺潮五郎)【漱石と明治人のことば157】

sousekiKotobaBanner2

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「五十余年なれむつびしは夢のゆめ ひとつぼの灰と汝(な)はなりにしを」
--海音寺潮五郎

『天と地と』『二本の銀杏』『武将列伝』などの骨太の歴史伝記文学を書いた海音寺潮五郎は、明治34年(1901)鹿児島の生まれ。中学の国語教師をつとめていたが、『サンデー毎日』の懸賞小説に入選したのを機に作家生活に入っていった。『天正女合戦』『武道伝来記』で直木賞を受賞したのは昭和11年(1936)だった。

戦時中の昭和16年(1941)11月、海音寺潮五郎は徴用を受けて大阪の西部二十二部隊に入った。作家仲間の井伏鱒二や小栗虫太郎も一緒で、マレーへ赴くことになっていた。

大阪の宿舎に到着した翌日の夜、部隊を統率する中佐が、なんのはずみか、皆の前で「俺の言うことを聞かんやつは、ブッタ斬る」とおどした。硬骨漢の海音寺潮五郎は黙っていない。即座に「何を言う。ブッタ斬るとは何事だ!」と怒鳴り返した。

この話には、創作欲の強い同輩たちによって、たちまち尾鰭がつけられた。彼らは海音寺持参の日本刀に着目し、怒鳴り返すと同時に、長さ4尺の朱鞘の剛刀のコジリをどんと床に突き立てたという迫力満点の演出を加えたのである。この演出が、どっしりした本人の風貌に、いかにも似合っていた。

このエピソードを裏付けるように、海音寺は戦後も日本刀をコレクションしていた。私は作家の次女である末冨明子さんに、遺愛のふた振りの刀をみせてもらったことがある。孫六兼元と肥前忠吉。作家没後の専門家鑑定では意外に値打ちがつかなかったというが、ずしりとした重みは迫力十分だった。

その風貌通り、海音寺は酒も強かった。酒量は底なし。飲めばいくらでも飲めたが、家でひとりで飲むことはなかった。家族には「酒は好きじゃない」と口にする一方で、客があると際限のないほどウイスキーを傾ける。それでも酔って乱れるようなことは、けっしてなかったという。

そんな海音寺潮五郎が、自らひとり酒杯をあおり、このままだと正体がなくなるのではないかと思うほどの酔態を見せたことがある。それは長年連れ添った妻を亡くしたあとだった。どうしようもない寂しさが募り、その寂しさをウイスキーの酔いだけが、わずかながらも癒してくれていたのだろう。

掲出の短歌は、その頃、胸の奥からあふれ出るように詠まれたもの。焼かれて灰となり骨壺におさまってしまったおまえ。50年以上にわたって連れ添い、睦み合ってきたのはまるで夢のようだ、と嘆くのである。

他に、こんな歌もあった。

「死とはそも何ぞ刹那に吾と妻を 遠く無限に離しけるはや」
「そらに月つめたき風の夕日町 ひたにぞ歩くただひとりにて」
「なにごとも変らぬ日々のあけくれは 汝がゐぬのみぞ汝は逝きにけり」

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

himekurisoseki-3

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 「秋立つや一巻の書の読み残し」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば…
  2. 「年の暮れには追憶を、年の初めには希望を」(幸田露伴)【漱石と明…
  3. 「見果てねど はた見あきねど我が夢は 四十余年の夢多き日々」(滝…
  4. 「子供のために一流の文学者が進んで執筆しなければ嘘だ」(鈴木三重…
  5. 最晩年の谷崎潤一郎が愛する風景を詠んだ歌【漱石と明治人のことば3…
PAGE TOP