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「ひとつぼの灰と汝はなりにしを」(海音寺潮五郎)【漱石と明治人のことば157】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「五十余年なれむつびしは夢のゆめ ひとつぼの灰と汝(な)はなりにしを」
--海音寺潮五郎

『天と地と』『二本の銀杏』『武将列伝』などの骨太の歴史伝記文学を書いた海音寺潮五郎は、明治34年(1901)鹿児島の生まれ。中学の国語教師をつとめていたが、『サンデー毎日』の懸賞小説に入選したのを機に作家生活に入っていった。『天正女合戦』『武道伝来記』で直木賞を受賞したのは昭和11年(1936)だった。

戦時中の昭和16年(1941)11月、海音寺潮五郎は徴用を受けて大阪の西部二十二部隊に入った。作家仲間の井伏鱒二や小栗虫太郎も一緒で、マレーへ赴くことになっていた。

大阪の宿舎に到着した翌日の夜、部隊を統率する中佐が、なんのはずみか、皆の前で「俺の言うことを聞かんやつは、ブッタ斬る」とおどした。硬骨漢の海音寺潮五郎は黙っていない。即座に「何を言う。ブッタ斬るとは何事だ!」と怒鳴り返した。

この話には、創作欲の強い同輩たちによって、たちまち尾鰭がつけられた。彼らは海音寺持参の日本刀に着目し、怒鳴り返すと同時に、長さ4尺の朱鞘の剛刀のコジリをどんと床に突き立てたという迫力満点の演出を加えたのである。この演出が、どっしりした本人の風貌に、いかにも似合っていた。

このエピソードを裏付けるように、海音寺は戦後も日本刀をコレクションしていた。私は作家の次女である末冨明子さんに、遺愛のふた振りの刀をみせてもらったことがある。孫六兼元と肥前忠吉。作家没後の専門家鑑定では意外に値打ちがつかなかったというが、ずしりとした重みは迫力十分だった。

その風貌通り、海音寺は酒も強かった。酒量は底なし。飲めばいくらでも飲めたが、家でひとりで飲むことはなかった。家族には「酒は好きじゃない」と口にする一方で、客があると際限のないほどウイスキーを傾ける。それでも酔って乱れるようなことは、けっしてなかったという。

そんな海音寺潮五郎が、自らひとり酒杯をあおり、このままだと正体がなくなるのではないかと思うほどの酔態を見せたことがある。それは長年連れ添った妻を亡くしたあとだった。どうしようもない寂しさが募り、その寂しさをウイスキーの酔いだけが、わずかながらも癒してくれていたのだろう。

掲出の短歌は、その頃、胸の奥からあふれ出るように詠まれたもの。焼かれて灰となり骨壺におさまってしまったおまえ。50年以上にわたって連れ添い、睦み合ってきたのはまるで夢のようだ、と嘆くのである。

他に、こんな歌もあった。

「死とはそも何ぞ刹那に吾と妻を 遠く無限に離しけるはや」
「そらに月つめたき風の夕日町 ひたにぞ歩くただひとりにて」
「なにごとも変らぬ日々のあけくれは 汝がゐぬのみぞ汝は逝きにけり」

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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