今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「おやじが偉すぎたよ」
--夏目伸六
夏目伸六は明治41年(1908)12月17日生まれ。夏目漱石41歳の折に生まれた次男であった。
漱石は当初、「旦(あした)」と命名するつもりで周りに吹聴していた。ところが、生まれた子供の顔を見て気が変わった。申年生まれの6番目の子供ということで「伸六」と名づけた。
漱石は大正5年(1916)12月9日に病没しているから、伸六は満7歳(8歳の誕生日直前)で父を亡くしたわけである。その頃、伸六は暁星小学校に通っていた。その後、暁星中学から慶応大学独文科に入学するも中退。ドイツを中心にヨーロッパに遊学する。昭和12年(1937)、応召して中支満州を転戦し3年後に帰還。文藝春秋に入社してジャーナリストとして働く。戦後まもなく同社を退社した後は、随筆家として活躍した。
伸六の中の父の記憶としては、相撲をとって遊んでもらったりしながらも、恐いイメージばかりが先行していたようだ。だが、歳を重ねるとともに少しずつ父親のことを理解できるようになったという。随筆『父・夏目漱石』に、伸六はこう綴っている。
「父の死後、段々大きくなるにつれて、私もいつか父の作品をあれやこれやと読む様になった。そしてそこから、私は次第に本当の父の姿に親しみを抱く様になって来た」
漱石の孫娘のひとりと結婚することで伸六と叔父・甥の関係になった作家の半藤一利さんは、しばしば伸六と酒席をともにしたという。当時の半藤さんは文藝春秋で編集者として働いていた。半藤さんを含め周囲の誰もが伸六の文才を認めていたが、伸六は容易に筆をとらなかった。怠け者で、どこかニヒリスティックなところのある人柄に見受けられたが、あるとき酒盃を片手にポツリと呟いたのが掲出のことばだったという。
余りに偉大な父の呪縛というべきか。
さりながら、ある日の伸六は、半藤さんに向かって、酒を飲みながら上機嫌でこんな台詞を口にしたこともあったという。
「漱石の作品中いちばんの傑作は何といったって『坊ちゃん』だよ。最高だな。でも、俺だって、あれくらいのものは書けるかもしれんが……」
伸六は昭和50年(1975)2月11日、66歳で逝去した。
冊数は多くはないが、『父・夏目漱石』『父・漱石とその周辺』『猫の墓』など、貴重かつ味わい深いエッセイが仕事として残されている。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。