今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「恐らく初めにどこかで酒に出会って誰もが酒を飲むことになるのであって、そこから先はただ飲み続けているだけで何かと酒に就て教わることになる」
--吉田健一

吉田健一が『私の食物誌』の中に綴ったことばである。あとには、こんな一文がつづく。

「そして酒に就てそうして教わるのよりも、やはり教わりながらも飲み続ける方が大事であるのは言うまでもないことで、途中で止めるならば酒に就て無智であるのと同じことになる」

酒については、飲みつづけているうちに酒が教えてくれるから、ただ飲みつづけていればいい。途中で禁酒などしてはいけない…。まるでバッカス(酒神)からのご託宣のようで、心強く受けとめる左党も多かろう。独得の文体そのものが、盃を下にも置かず飲みつづけて陶然たる、の趣がある。

吉田健一は明治45年(1912)生まれ。父親は吉田茂。母の雪子は大久保利通の孫娘に当たる。

のちに総理となる吉田茂も、この頃はひとりの外交官である。そんな父親の仕事の関係で、吉田健一は少年期から長く外国暮らしを経験。長じてはイギリスのケンブリッジ大学に学んだ。大学入学当初は英語の先生にでもなるつもりでいたというが、文学への関心が高まり、ついには自らが文士となることを決意。大学を中退して、帰国した。

帰国後は、文芸評論家の河上徹太郎に師事した。その頃、河上の周りには、横光利一や小林秀雄、青山二郎らがいた。自然と彼らをとりまく編集者を含めての交流が生まれ、酒を酌みかわすようになった。

「酒豪」としか呼びようのない後年の飲みっぷりからは信じがたいことだが、吉田健一は、帰国後のこの時期に初めて酒を飲みはじめたという。

文士たることを志していた吉田健一は、もちろん酒を飲むだけでなく、小説を書こうと苦闘した。けれど、筆はなかなか進まず、酒の方ばかり腕前が上がる。それには、ひとつの理由があった。吉田はほとんど英語を母語として育ってきたため、ネイティブの日本人のようには日本語が操れなかったというのだ。

そんな吉田のため河上徹太郎が勧めたのは、森鴎外の作品を読むことだった。以来、吉田はいつも鴎外の本を携行し、読みつづけた。その甲斐あって、やがて、独得の不思議な、誰にも真似できない自分の文体をつくりあげていったのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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