今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「妻病めば我れ代らんと思ふこと彼女も知らぬ心なりけれ」
--与謝野鉄幹

短歌文芸雑誌『明星』は、明治期の文壇に欠くべからざる存在だった。与謝野鉄幹(本名・寛)はその『明星』を創刊・運営した歌人であり、与謝野晶子の夫である。

晩年の歌人夫婦は連れ立ってよく旅をした。多くは土地の有力者の招待によるもので、各地で催される講演会や歌会に臨んだのであった。

そんな旅の途中、晶子が西那須温泉で倒れた。昭和8年(1933)暮れというから、晶子55歳、鉄幹は60歳の折の話である。年が明けても病はなかなか癒えず、鉄幹はおろおろと病臥の妻を見守り、ひたすら回復を祈る。

掲出の短歌は、そのとき鉄幹が詠んだもの。病臥する妻を見て、自分が代わってやりたいと、心から願っている夫なのだ。他に次のような歌々も詠んだ。

「わが妻よ君を守りて足らざりき病む君を見て悔ゆれど遅し」

「人の屑われ代り得ば今死なぬ天の才なる妻の命に」

鉄幹は晶子を妻として愛しているだけでなく、歌人としての才能を非常に尊敬していた。自分のようなろくでなしが身代わりになることで、この人が救われるなら、命を投げ出してもいいと、本気で歌い上げるのである。

たどってきた足跡を振り返れば、鉄幹自身はけっして品行方正とはいえない。恋多き男であった。晶子と結ばれる前にも、すでに妻子があり、晶子と恋愛関係に陥りながら、その友・山川登美子とも恋を語らっていた。

ここに、若き日の鉄幹の胸奥からこぼれ出た歌がある。

「業平がのちにきたれるここにひとり恋のほこりの歌二万年」

その昔、美男の典型のようにいわれた在原業平(ありわらのなりひら)に自分自身を重ね、恋多きことに天然の誇りを抱いている。

そんなわけだから、前の妻の滝野に向かって、平気でこんなことを言っていた。ゲーテの恋人が12人。バイロンにはもっと多くの数えきれぬ恋があった。自分も詩人として複数の恋人を持っても、それは深く咎めるべきことではない。妻である君は別格として、晶子も登美子も雅子も花子も、みんな可愛い恋人なのだ--。

滝野と別れ、晶子と結婚したのちも、何かとやきもちをやかせることが少なくなかった。そうした過去もありながら、ふたりは最後はおしどり夫婦として全国行脚を楽しんでいた。そして、鉄幹は病臥した妻の命を何より大切に思い、必死で回復を願ったのである。

願い通り晶子はほどなく回復した。黄泉路への旅立ちは、結局、鉄幹の方が先だった。生前の約束通り、末期の水は晶子が与えた。納棺に際し、子どもたちは、鉄幹の愛用した筆や硯、煙草などを棺におさめていく。悲しみの中でそんな様子を見守りながら、晶子は思う。あの人は、そんなもののどれよりも、この私を愛して側に置いていたのよ、と。その三十一文字。

「筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我を愛できと」

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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