今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「もし霊界なるものがあるならば、おそかれ早かれ、この地のどこかに永遠にねむる。あまり広い所でないからきっと相まみえ、久闊を叙し、握手して生前のこと、在世中の共通の友人、知人のことを語り合うことがあるであろうことを思えば、死もまたたのし」
--大宅昌

先日この連載で、評論家・大宅壮一と大宅文庫のことを紹介した。大宅昌(おおや・まさ)はその大宅壮一の妻。上に掲げたのは、大宅壮一が没して1年が経とうとする頃に出版された昌夫人の著書『大きな駄々っ子 大宅壮一と共に歩んだ四十年』の中に綴られたことばである。

昌夫人(旧姓・奥田)は明治39年(1906)富山県の生まれ。地元の女子師範学校を卒業して7年間教師をつとめたあと、24歳で大宅壮一と結婚した。

雑誌『婦人公論』の主催する講演で北陸地方をまわり、富山市の公会堂にやってきた大宅壮一が、聴衆の中にいた彼女を見そめ、押しに押しまくって結婚に至ったという。大宅壮一は夫人より6つ年上の30歳だった。

いわゆる一目惚れという感が強いが、すぐには首を縦にふらない夫人あての手紙に、大宅壮一はこんなふうに綴っている。

「僕があなたの容貌のみに惹かれたように考えるかも知れませんが、この点はあなた自身も誤解なさらないようにして下さい。容貌の点でなら、あなたより或は美しい方があったかも知れません。しかし、僕はあなたの容貌を通じて、あなたの性格、人間としてのあなたを直観したのです」

容姿から内面を見抜いたとする辺りが、大宅壮一ならではの観察眼なのだろう。

夫妻の間には4人の子(1男3女)があったが、長男の歩が33歳で早世した。普段から無宗教を標榜し、墓所不要論者でもある夫に代わり、昌夫人が鎌倉の瑞泉寺に墓所を求めてあった。まず自分たち夫婦が入り、やがては子どもたちもと思ってひそかに準備していたものが、先に長男の永眠する菩提所となったのである。

夫人の案内で瑞泉寺の墓所を訪れた大宅壮一は、すっかり気に入ってしまい、墓所不要論はどこへやら。「ここは居ながらに富士山が見え、松籟がきける、君も買えよ」と、半ば自慢でもするように友人や仲間にすすめ、幾人かはその誘いを受け入れたという。

最近は、先祖の墓をどうするか。自分の墓をどうするか、時代環境や意識が変遷する中で、墓をめぐる切実な問題が浮上している。なかなか、昌夫人の如く「死もまたたのし」という訳には行かぬようだ。人間とは、死後のことまで、なんと厄介なものか。

鎌倉の寺々には、他にも、多くの文人たちが眠っている。夏目漱石にゆかり深い円覚寺もある。憂き世の悩みはいっとき忘れ、鎌倉の散策がてら、彼らに思いを馳せてみるのも悪くない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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