今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「ゆうべ風呂で顔はあらった」
--大宅壮一
東京・世田谷区の大宅壮一文庫の運営が資金難から厳しくなっているということで、クラウドファンディングで寄付を募っている。
大宅文庫といえば、明治・大正から平成までの、さまざまなジャンルの雑誌を所蔵し、ことこまかな索引を作成。調べたい項目や人物名から過去の雑誌記事を探してもらって閲覧することができる、雑誌の図書館。
私が編集や原稿書きの仕事をはじめた30余年前は、パソコンやスマートホンなどという便利なグッズは存在していないから、簡単に机上でキーワードを入力して何かを検索するなどということは誰も考えもしない。マスコミの世界で働く人間のひとりとして、大宅文庫には繰り返し足を運び、お世話になったものだ。
文庫での調べものは、当初はキーワードごとに分類されたカードを1枚1枚手でめくって進めた。そこに行けば確実に、何らかの収穫やヒントがえられた。
この大宅文庫のもとになる17万冊にもおよぶ膨大な雑誌資料を収集したのは、評論家の大宅壮一だった。明治33年(1900)大阪の生まれ。東京大学社会学科中退。『文壇ギルドの解体期』で論壇に登場し、『モダン層とモダン相』で評論家としての地位を確立した。
テレビの低俗番組氾濫の風潮を「一億総白痴化」という言い回しで批判するなど、造語の名手としても知られ、「マスコミ界の帝王」ともいわれた。
大宅は若い頃から、反骨精神に裏打ちされたジャーナリスティックな感性を身につけていた。大阪府立茨木中学(旧制)に在学中、教育勅語の言葉づかいの文法的誤謬を指摘して校長に詰め寄ったり、アジ演説をしたりして、放校処分になったという逸話もある。一方で、同中の3年上級には川端康成がいて、雑誌投稿の懸賞メダルの数を競っていたという。
大宅は評論家として大成したのちも、酒も煙草もやらず、これといった道楽もしなかった。それどころか、家では昼も夜もドテラ姿で、朝の洗顔さえしない。それをなぜかと問われたとき、大宅の返した答えが掲出のことば。前夜の入浴時に顔は洗ったから、朝もう一度洗い直す必要などない、というのである。そうやって節約したエネルギーを、大宅はすべて仕事に注ぎ込んだ。とぼけた味わいの返答の底に、熱い意気込みがにじむ。
大宅はいつも膨大な資料を収集分析してメモを積み上げ、現場へ繰り出した。高所恐怖症のくせに飛行機だけは大好きで、日本国内はもちろん世界のあちこちを精力的に歩き、筆で両断した。『世界の裏街道を行く』という著書もものした。思えば、彼は、太平洋戦争の只中にも、外国語習得の重要性を子どもに説いた先見の国際人であった。
そんな大宅の遺品のパスポートを、取材で見せてもらったことがある。その数8冊。中には、東西冷戦の最中、昭和36年(1961)発行のソ連取材用という稀少なものもあった。旺盛にして偉大な野次馬根性の持ち主だった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。