今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「走りつづけて、行きつくゴールというものがなく、どこかしらでバッタリ倒れてそれがようやく終わりである」
--坂口安吾
明治39年(1906)新潟で生まれ、昭和30年(1955)群馬・桐生で没。坂口安吾の50年に満たぬ生の道筋は、自らが『青春論』の中に綴った上の一文のようであった。
事物や金銭に縛られるのを嫌い、徹頭徹尾、ひとりの自由人として生き抜こうと意志した。狂おしいほどの希求であった。
そんな坂口安吾にとって、「おちる」ということはひとつのキーワードだったろう。
少年期から、既成の枠をはみ出し落ちた悪戯者。新潟中学在学中には、出席日数が足らずに落第。その上、試験にはわざと白紙答案を提出する始末で、ついには退学に追い込まれた。そして、新潟中学を去る際、木製の机の蓋裏に彫りつけたのが以下のことば。
「余は偉大なる落伍者となって、何時の日にか歴史の中によみがえるだろう」
なんとも、安吾らしい。
戦後の混乱の最中に発表した評論『堕落論』の中にも、安吾はこう書いている。
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」
国は焦土と化し、すべての価値観は転倒した。そんな中、小手先でその場を誤魔化すのでなく、深く生き直そうと訴えるこの評論も、読者の圧倒的支持をもって迎えられた。
そう。人生にはじめから設定されたゴールはない。ただ力の限り、走りつづけていくしかない。
山口瞳の手になる、ウイスキーの広告コピーの1行を思い出す。
「諸君! この人生、大変なんだ」
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。