佐賀県伊万里市、大川内山(おおかわちやま)。江戸時代、日本で唯一の磁器生産地を持った鍋島藩は、三方を山に囲まれた険しい地形のこの地に藩窯を作り、職人を集めて製陶に従事させた。出入りも厳重に管理して、技法がほかに漏れないようにしたといわれる。
去る2017年3月17日と18日の両日、かつて世界最高水準の焼き物が作られていたこの場所で、食と芸術の融合をテーマにしたイベント「EAT & ART in 伊万里」が開催された。
パリのミシュラン一つ星レストランのオーナーシェフ吉武広樹さん(36歳)と、ローラーペイントアーチストのさとうたけしさん(39歳)、そして地元の若い人々がコラボした展示・登り窯見学など2日間のイベントに「秘窯の里」が盛り上がった。
ハイライトは、30人限定、桜の枝の下の「大川内山ディナー」。予約が取れないことで知られるパリの一つ星レストラン「SOLA」の吉武シェフの料理が、さとう氏がこの日のために絵付けした皿や「普通は食材をのせたりしない」というほど高価な後期鍋島の器に盛りつけて供された。6割以上が佐賀県外からやってきた参加者たちで、料理や器について熱心に質問する場面も見られた。
フランスと地元、山と海などの食材の「融合」、砂糖を使わないデザートという「挑戦」など、いくつものテーマの試みがなされ、旬のシェフの「どうだ」という味の提示に、誰もが驚かされた。
吉武シェフは伊万里出身。15歳まで伊万里で育った。
「パリで店を出した僕に、地元の友人たちからは『お前はいいよな、伊万里では何もできないよ』という愚痴を聞かされたりしていました。でも僕は、伊万里には可能性があると思ってきました。しかも、日本を遠くから見ていて、変化を感じています。
つい4、5年前までは、何かをやろうとしても『地方からは無理』と考えられていました。しかし今は、東京のような都市でない地方からでも、何かを始めて発信することができるようになりました。一度スイッチが入れば、そこから何かが動き出すんですよね。僕は今回のイベントも、そういう動きの着火剤になればいいと思っています」(吉武シェフ)
そう語る吉武シェフだが、今回、食器については困惑も大きかったという。
「多くの料理人は、器の模様はないほうがいいと考えます。そのほうが自分の表現を100パーセント出せるからです。僕がパリの店で使っている食器も、無地のものがほとんどです。揃えた時に、器には引っ込んでおいてもらいたいという気持ちがあったんですね。
だから今回、模様のある器と料理をどうやって生かしあったらいいかがわからなくて、かなり悩みました。初めての打ち合わせの時なんて、皆んな困惑して無口になっていましたね(笑)。
伊万里焼の模様を、スプレーで7割ぐらい消して盛り付けようかということまで考えました。しかし結局は、それは違うと思って、模様のあるままの皿に盛り付けることにしたんです。
例えばステーキを、パリの店ではもちろん無地の皿に盛り付けるのに、今回はひとつひとつ絵柄の違う大皿に盛り付けています。戸惑いはありましたが、出してみてお客様がわあっと喜ばれる反応を見て、食器についてもう一度考えなくてはならないと思いましたね。
僕は当初、有田焼に対して『今、世の中で流行っているのはこういう器だから、その流行っている要素を入れて作って行くべきだ』と考えていました。しかし今は、流行のほうに歩み寄るのではなく、“有田らしさ”を打ち出していったほうがいいと思うようになってきています。伝統とのコラボで、自分としても新しい刺激を受けましたね」(吉武シェフ)
この日、吉武シェフが使った器のひとつは、さとうたけし氏が絵付けをし、地元の若手陶芸作家である畑石修嗣さん(31歳)が制作にあたった。創業80年以上の老舗である「畑萬陶苑」に生まれ、伊万里の伝統を知り尽くした畑石さんも、今回の共同作業は新しい試みになったと語った。
そのディナーの後で、ライブペイントショーを行ったさとうさんは、塗装職人の経歴を持っている。
「塗装業はデザインした人のものを実際に仕上げる仕事で、職人の名前は残らないけれど、ものすごい技術を持った人たちがたくさんいるんです。僕も12、3年前に、アーチストとして自分で表現する世界に入ったときは、塗装で身につけた技術とスピードを武器にスタートしました。
ローラーは筆で描くより圧倒的に早く描くことができて、ライブペイントショーという形で観る方に喜んでいただいています」(さとう氏)
伊万里のイベントでは、さとうさんが2.5メートルの白いキャンバスに、まず黄色とオレンジで色をつけていった。その間、客席はいったい何が描かれて行くのかと引き込まれていった。最後に濃い色で加えられた船が描かれて初めて、海が描かれていたのだとわかり、大きな歓声が上がった。
仕上げに書かれた文字は「Imari Pride(イマリ・プライド)」。拍手に応えてさとう氏は、「400年前、この大川内山の人々はどんな思いで発信していたのだろうと考えて、港から荷を積んで出て行く船を描きました」と語った。自身と伊万里の職人たちを重ねあわせて描いたのだという。
「江戸時代の職人たちも、ゼロから始めて世界に通用するものを作り上げた。僕も世界に通用するものを見せていきたいと考えています」(さとう氏)
かつて「秘窯の里」であった大川内山で作られた磁器は、伊万里の港から船に積み込まれて、海に出ていった。世界が注目する二人のアーチストが火花を散らした今回のイベントも、海を越えて世界へ広く発信したいという気概にあふれたものだった。
文/編集部