今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「不来方(こずかた)の/お城の草に寝ころびて/空に吸はれし十五の心」
--石川啄木
先日、第89回選抜高校野球大会(春の甲子園)の出場校が発表された。清宮幸太郎選手が主将をつとめる早稲田実業が注目を集める一方で、21世紀出場枠で、選手数10人ながら秋の岩手県大会で準優勝した不来方高校も初出場を決めた。
不来方という地名を聞くと、反射的に筆者の頭に浮かぶのは、石川啄木の処女歌集『一握の砂』におさめられている掲出の短歌。啄木は岩手・渋民村に育ち、盛岡中学に進学。短歌雑誌『明星』を愛読し、文学に情熱を燃やした。「不来方のお城」とは盛岡城のこと。
現在は誰もがその名を知る歌人として、その歌集を一度は手にした人であふれる啄木だが、生前は貧窮にあえいだ。自身は「天才」をもって任じても世間の評価はついてこない。東京朝日新聞の校正係に採用されて夏目漱石の年下の同僚となり、朝日歌壇の選を任される明治42年(1909)から43年あたりが、生活的にはもっとも安定した時期だった。が、それも束の間、まもなく結核に倒れ出社もままならなくなり、薬代にも事欠いていく。漱石はそんな啄木のために、繰り返し見舞金を送っている。
満26歳で短い生涯を閉じる病床の啄木の瞼の奥に、過ぐる日、ふるさと岩手の城址で見上げた空の青、流れる雲の白さの記憶は、よみがえることがあっただろうか。
少年の日にはしばしば時も忘れ見上げていた空を、この頃、見上げていないなあ、とふと思う。不来方高校10人の野球選手は、甲子園の空にどんな青春を描き出すだろうか。健闘を祈る。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。
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