文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「君の妻君は御病気はどうです。君の子供は丈夫ですか。学校などはどうでもよいから精々療治をして御両親に安心をさせるのが専一だと思います」--夏目漱石

夏目漱石が留学先のロンドンから、門弟の寺田寅彦あてに出した手紙の一節である(明治34年11月20日付)。

この頃、寺田はすでに結婚して子供も生まれていたが、妻の夏子は少し前に胸の病で喀血していた。漱石は知らせを受け、「御家内御病気のよし、これはナンボ君でも御閉口の事と御察し申上候。随分御療養専一」と手紙を書いたりしていたのだが、今度は寺田自身も体をこわしてしまい、大学を休学して高知に帰郷する仕儀となっていた。

相次ぐ不幸な出来事に、寺田は前途を塞がれるような思いに沈んでいただろう。漱石はそんな寺田や家族の体調を気遣い、この手紙で慰め励ましているのである。尊敬する恩師が「学校などはどうでもよいから」ときっぱり言い切ってくれるだけでも、寺田は随分と気持ちを楽にすることができたのではないだろうか。

この手紙の冒頭には、「今十一月二十日君の手紙を拝見」と記されている。すなわち、漱石は、寺田から届いた手紙を読んだその場で、ひとときの間も置かず即座に返信を書いている。こんなところにも、漱石のやさしさがあらわれている。

後年、寺田は、亡き恩師とのこの時期の手紙のやりとりを思い出しながら、こんなふうに綴っている。

「先生の留学中に自分は病気になって一年休学し、郷里の海岸で遊んで居たので、退屈まかせに長たらしい手紙をかいては倫敦の先生に送った、そうして先生からの便りの来るのを楽しみにしていた」(『夏目漱石先生の追憶』)

その後、寺田の体調は持ち直し大学に復したものの、妻の夏子は療養の甲斐なく、漱石の帰朝を前に帰らぬ人となってしまった。妻を失った心の隙間を埋めようとでもするように、寺田は帰国した漱石のもとに通いつめた。週に2度、3度と入り浸り、漱石が忙しそうに何かしていて相手をしてくれなくても、なんだかんだと理由をつけて部屋の片隅にとどまっていた。

時には、こんな出来事もあった。いつものように漱石のもとで過ごしていた寺田は、その日、寿司の出前をとってもらい、漱石と一緒に食べることとなった。その際、漱石が海苔巻きを食べると、寺田も海苔巻きに箸をのばす。漱石が玉子を食べると、寺田もすかさず玉子を口にする。漱石が海老を残すと、寺田も海老を残す。

なんと寺田は、漱石を慕うあまり、まったく無意識のうちに漱石と同じやり方で寿司を食べていたのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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