『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

寿命は自分のきめるものでないから、もとより予測はできない(『点頭録』より)

石川啄木歌碑(銀座)DSCF5736

東京・銀座の並木通り、かつて朝日新聞社があったビル(現在工事中)の前に立つ石川啄木歌碑。


【1912年4月15日の漱石】

明治45年(1912)4月15日、つまり今から104 年前の今日、45歳の漱石は若くしてこの世を去った才能ある歌人に今生の別れを告げるべく、東京・早稲田南町の自宅から浅草へと向かった。その歌人とは、石川啄木であった。

啄木が26年と2か月という短い生涯を閉じたのは、この2日前の4月13日だった。啄木は3年前から東京朝日新聞の校正係をつとめており、長与胃腸病院に入院中の漱石を見舞ってくれ、漱石の側からも啄木にいろいろとアドバイスを与えたこともあった。啄木の胸奥にもこの時の印象は深く刻まれ、明治44年(1911)の啄木の日記帳の冒頭には、「前年中重要記事」として、《夏目氏を知りたると、二葉亭全集の事を以て内田貢氏としばしば会見したるとは記すべし》との書き込みがなされている。

明治43年の啄木は、朝日新聞社から発行の『二葉亭四迷全集』の校正と編集事務に精力的に取り組んでいた。評論家で丸善顧問、ロシア文学の翻訳も手がけていた内田貢(内田魯庵)は、生前の二葉亭四迷(1864~1909)とも交流が深く、啄木はこの仕事を進めるに当たって、繰り返し魯庵に会っていろいろと助言をもらった。啄木がこれを「重要記事」ととらえるのは当たり前のことなのだが、漱石の知遇を得たこと(知りたる)は、それに優先して記されるほど、嬉しく価値の高い出来事だったのである。

この頃、新聞社社員としての啄木が詠んだ一首。

《京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな》

東京朝日新聞社は、当時、京橋区滝山町(現・銀座6丁目)にあった。21世紀のいま、そぞろ歩きに銀座を散策すれば、この啄木の短歌と啄木の肖像を刻んだ歌碑を、銀座並木通り沿いに見ることができる。

啄木が体調を崩しはじめたのは、前年(明治44年)の2月頃だった。当初は腹膜炎と診断され、病院で手術を受けた。だが、退院後、自宅療養する中で病は肺結核へと移行し、寝たきりの状態となってしまった。

同じ頃、啄木の母親も喀血し、もともと苦しい石川家の経済は、やがて薬代もままならぬような窮状に陥っていった。当時の啄木の日記から。

《母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかかった。質屋から出して仕立直さした袷(あわせ)と下着とは、たった一晩おいただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命になった。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかった》

薬代も払えぬほど貧しい啄木のために、漱石夫妻は門弟の森田草平を通じて2度にわたって見舞い金を届けていた。明治45年1月22日の啄木の日記には、こんな記述が読める。

《午(ひる)頃になって森田君が来てくれた。外(ほか)に工夫はなかったから夏目さんの奥さんへ行って十円もらって来たといって、それを出した。私は全く恐縮した。まだ夏目さんの奥さんにはお目にかかった事もないのである》

啄木の葬儀は、親しくしていた歌人の若山牧水や同郷の言語学者・金田一京助らの世話により、浅草の等光寺で行なわれた。漱石のほかに、漱石の弟子・森田草平や東京朝日新聞の社員10数人、歌人仲間の佐佐木信綱(ささき・のぶつな)、北原白秋(きたはら・はくしゅう)、相馬御風(そうま・ぎょふう)、木下杢太郎(きのした・もくたろう)らも列席していた。遺族は次女を身ごもっていた妻・節子と幼い長女。啄木の母親は、ひと月前に死去していた。

啄木の次女と第2歌集『悲しき玩具』が世に産み落とされるのは、それから2か月後のことだった。『悲しき玩具』には、こんな短歌も載せられていた。

《買ひおきし 薬つきたる朝に来し 友のなさけの為替(かわせ)のかなしさ》

《新しき明日の来(きた)るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど--》

漱石はこの短歌をどんな感懐を抱いて読んだだろうか。

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

 

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