日本全国には大小1,500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。
そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】長崎・重家酒造『横山五十 純米大吟醸』
2017年の最初にご紹介するお酒は、長崎の蔵元「重家酒造(おもやしゅぞう)」が醸す、『横山五十(よこやまごじゅう)』という名の純米大吟醸酒です。
九州の北西に広がる玄界灘に浮かぶ小さな島・壱岐島。遠く奈良・平安の昔は遣隋使、遣唐使の船の寄港地で知られた島です。その南東にある印通寺港(いんどうじこう)の近くにある重家酒造は、初代・横山確蔵(よこやまかくぞう)が大正13年に創業した小さな蔵元です。現在は4代目の横山雄三(よこやまゆうぞう)さん、そして弟の太三(たいぞう)さんのふたりが中心となって営んでいます。
少しお酒に詳しい人ならご存知かと思いますが、壱岐島は麦焼酎発祥の地として知られています。その「壱岐焼酎」は、シャンパーニュ・スコッチ・バーボンといったお酒と同じように、WTO(世界貿易機関)によって原産地名が保護されています。つまり「壱岐焼酎」を名乗ることが国際的に許された唯一の地域なのです。
壱岐島には現在も麦焼酎をつくっている7つの蔵が健在ですが、じつは日本酒の蔵はひとつもありません。重家酒造も焼酎蔵で、壱岐の地元では『雪洲(せっしゅう)』、本州では限定流通酒として人気の『ちんぐ』という、いずれも優れた麦焼酎を造っています。
最初に紹介した、純米大吟醸『横山五十』はれっきとした重家酒造の日本酒なのですが、じつは島内で醸されたものではありません。どういうことなのでしょうか。その理由は――。
明治35年、壱岐島には焼酎蔵が38軒、日本酒蔵が17軒もあったそうです。ところが、時代とともに消費が低迷して売り上げが減少、酒蔵の多くが廃業してゆきます。移りゆく時代のなかで、なお重家酒造では焼酎造りと共に日本酒造りを続けてきました。しかし、杜氏の高齢化によって、平成2年を最後に自社での日本酒造りを断念せざるを得なくなります。
やむなく、それ以降は、日本酒については島外の酒蔵から原酒を買い上げ、自社のラベルを貼って銘柄を残す、いわゆる“桶買い”をしてきました。そのお酒は『海彦山彦』の銘柄で、地元販売を続けていますが、島内で自醸しているものではないのですが、さて――。
四方を海に囲まれた壱岐島は魚介の宝庫ですから、日本酒が地元の料理に合わないはずがありません。私も何度か壱岐島へ足を運んでいますが、日本酒蔵がないのが不思議で仕方がなかったのですが――じつは、そのことを誰よりも強く感じていたのが重家酒造の横山さん兄弟だったのです。
弟の太三さんは言います。
「豊富な湧き水があって、そして平野部が多いことから米作りも盛んな、この恵まれた島の環境のなかで、先代蔵元の父が断念せざるをえなかった日本酒づくりを復活させたい。それも父親が生きているうちに見せてやりたい。それが自分の役目でもあるし、やらなくてはいけない。それがここまで自分を育ててくれた壱岐島への恩返しにもなると、そう思ったんですよ」
そのための第一歩として、太三さんは縁のあった日本酒蔵へ冬場に出向きます。設備を間借り、日本酒造りの修行を兼ねてチャレンジを始めたのが平成25年の初めのことでした。翌26年には十数年前に知り合った別の蔵元の協力を得て、日本酒造りに挑戦するはずだったのですが――その酒蔵が予想もしなかった災害に見舞われます。集中豪雨で川が氾濫したことで酒蔵が浸水、致命的なダメージを受けてしまったのです。
すぐさま現場に駆けつけた太三さんは、ひたすら蔵の復旧に向けて手をつくします。その真摯な姿に、友情以上の熱いものを感じた知己の蔵元は、復興がなった後、壱岐島の日本酒復活という太三さんの夢の実現に向けて、長年培ってきた経験と技術を惜しみなく伝えてくれたといいます。
「連日泊まり込みで、蔵人さんたちの手を借り、焼酎造りとはまた違う様々な事を学び、その技も吸収することができました」
かくして誕生したのが、今回ご紹介する『横山五十』。世に出てから、今年で4年目を迎えた純米大吟醸酒です。
この酒に冠された「横山」は造り手の苗字ですが、「五十」の由来は何でしょうか。これは使用する酒米・山田錦を50%まで磨いた、つまりは“大吟醸”を名乗れる精米歩合の「五十」です。
白ワインをイメージしたという、その味わいはマスカットの香りが口中に広がり、上品な甘みを伴う芳醇にして雑味のない美酒です。まるで実際に果実のマスカットを頬張ったような風味に、適度な酸からくる後切れの良さも秀逸です。
精米歩合は50%ながら、十分に大吟醸酒の品格を備えていて、値段も手ごろ。麦焼酎『ちんぐ』で縁のあった全国の地酒専門店に案内したところ、その酒質の良さから、確実にファンがついて広がり、今では200石近くまで販売が伸びています。
一昨年のイタリアで開催されたミラノ国際博覧会では、日本の優れた食文化を伝える一環で出品された「日本酒30蔵」のなかにも選ばれました。
太三さんは、島外での日本酒造りを終えると、すぐ壱岐島へ戻り、兄のもとで麦焼酎造りに勤しみます。その際、日本酒造りで学び身についた麹造りやモロミの温度管理など、様々なことが麦焼酎造りに生かされ、明らかに『ちんぐ』の品質が向上したといいます。
当初は想定していなかった日本酒造りの副次的な効果も大きかったようです。とくに夏場限定で出荷される『ちんぐ・夏上々』というアルコールを19度に調整した焼酎が、一昨年あたりから、その上質感とフルーティさにぐんと磨きがかかり好評を博しています。
さて、今回の『横山五十』に合う料理として、堂島『雪花菜』の間瀬達郎さんは何を考えてくれたでしょうか。
出てきた料理は「海老と牡蠣のひろうす」です。ひろうすは、豆腐をすり潰して刻んだ野菜などを混ぜ込み油で揚げたもので、関東でいう「がんもどき」。具材には海老、きくらげ、京人参が使われていて、上にはあられ切りした生の蕪と柚子、そしてカラスミ。さらに新年初回ということで金粉があしらわれています。
温かい料理なので、お酒はあまり冷やし過ぎず、約15度の“涼冷え”程度。その『横山五十』の果実風味に、生の蕪と柚子が相性ピタリ。海老はあまり前に出しゃばらず、牡蠣の風味がふくよかに際立ちます。
大吟醸とはいえ、派手過ぎない香りと柔らかな飲み口に、ひろうすの淡白な味わいが優しく広がり、具材の旨みともじつに良く合いました。
壱岐島の「重家酒造」の日本酒蔵復活へ――今はまだ資金を貯めながら夢の実現の途中ですが、ここ5年以内には島の米と水と人で醸された、素晴らしい壱岐産の日本酒がきっと復活することでしょう。
その日が来るまで、私たち酒販店の人間にできることは、壱岐の酒蔵の強い想いから誕生した『横山五十』というお酒の存在を伝え、味わっていただくこと。どこかで『横山五十』を見かける機会があったら、迷うことなく飲んでみてください。
その美味しさに触れて、太三さんの大きな夢を共有してくだされば幸いです。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一