
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第42回では、蔦重(演・横浜流星)の母津与(演・高岡早紀)が亡くなりました。ドラマの中での蔦重の生い立ちがはっきりしました。東京都台東区の正法寺の蔦重の墓碑銘には、大田南畝(演・桐谷健太)による、津与の碑文があります。ドラマの中での当初の津与の存在から、どうしてこういった碑文が残されるような人物になるのかと思っていましたが、蔦重に様々な影響を与えた、良い母であったことがしっかりと描かれて、なるほどそうつなげたか、と思いました。
編集者A(以下A):津与の碑文の現代語訳を一部、紹介します。正法寺のご住職の訳になるものです。
癸丑の年二月、柯理が来て言うには「私は七歳で母と別れさみしい思いをしたが後に再会し一緒に暮らすことができて今の自分がある。願わくば片言の言葉を墓に捧げてその苦労に報いてやりたい。」私はこう言った「あなたは(寛政の改革による弾圧で)破産し獄中にもあった、なのにそんな逆境を乗り越え起業を成した。そんな人物が他にいるだろうか。子のすべき行いとは、母の遺した教えを変えることなく大切にし努力することである(だから蔦屋重三郎は成功したのだろう)。
I:前週には、津与と蔦重のしみじみとしたやり取りが描かれました。尾張に行く蔦重に、津与が初めて髪を結ってやるシーンで、津与は初めて「母親らしい言葉」を蔦重に残します。「それでここまでやって来て、あんたはそりゃもう大したもんだよ。けどね、たいていの人はそんなに強くもなれなくて、強がるもんだよ。口では平気だっていっても、その実、平気じゃなくてね」「そんなとこをもうちょいと気づけて、ありがたく思えるようになるといいね。そうなりゃもう一段男っぷりも上がるってもんさ」。津与の愛情が伝わってきて、泣けました。母と息子の絆の深さが、このわずかな場面で表現されていましたね。プロ野球のドラフト会議のテレビ中継でも母への感謝が番組のメインイベントのように特集されたりしますよね。毎年その特集をみて涙している私にとって、感慨深い場面になりました。
A:母と息子といえば、来年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、秀吉、秀長兄弟の母なか(後の大政所)も主要キャストとして登場することになるのでしょう。この家族も母と息子の絆は強いですから、注目ですよね。
I:そういえば、蔦重の父については、あまり触れられませんし、秀吉が登場するドラマでも母なかについては主要キャストとして登場しますが、実父についてはあまり触れられませんね。もちろん早くに亡くなっていたということもあるのでしょうが、「父の影は薄い」という印象です。
A:秀吉と秀長は父が異なるとも、いや実は、同じ父だという説もあります。
I:母と息子の絆ということでいえば、徳川家康もそうですよね。
A:はい。家康の実母於大の方(後の伝通院)は水野家の出身で、家康の父松平広忠と離縁することになり、その後、久松俊勝に嫁ぎます。2023年の大河ドラマ『どうする家康』でもその顛末が描かれました。そして、「家康の実母との縁」は『べらぼう』の時代まで延々と続いています。田沼意次時代の老中水野忠友(演・小松和重)の水野家も「家康実母の実家の流れ」ということで重用されているわけですし、御三卿田安家の田安賢丸が養子に入った松平家は、松平広忠と離縁した於大が新たに嫁いだ久松俊勝との間にもうけた息子の家になります。
I:つまり、家康異父弟の流れが、松平定信(演・井上祐貴)が養子に入った松平家になるわけですね。
A:さらに、松平定信が失脚後しばらくして老中として天保の改革を主導する水野忠邦も「水野家」ですからね。「家康実母於大」に縁ある家系は幕末まで幕府内で重用されたということになります。
I:「母の絆、強し」ですね。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ~べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。同書には、『娼妃地理記』、「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらいいのね)」も掲載。「とんだ茶釜」「大木の切り口太いの根」「鯛の味噌吸」のキャラクターも掲載。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり










