
マネジメント課題解決のためのメディアプラットホーム「識学総研(https://souken.shikigaku.jp)」が、ビジネスの最前線の用語や問題を解説するシリーズ。今回は、成長するためのキャリア論について考察します。
はじめに
「今の会社には、もう成長できる環境がありません」
企業研修や面談で、若手・中堅社員の口からこの言葉を聞くことが増えました。転職が一般化した現代において、これは最も“らしく”聞こえる退職理由の一つでしょう。
しかし、長年「組織と個人の成長」というテーマに向き合ってきた識学の講師として、私はこの言葉に強い違和感を覚えます。なぜなら、「成長できる環境」を求める人ほど、成長できないという、厳しい現実があるからです。
この記事では、多くの人が囚われている「成長」という言葉の錯覚と、環境に依存せず自らの市場価値を高め続けるためのキャリア論について、識学の観点から解説します。
快適な上りエスカレーターを待つ人
まず、認識のズレを正す必要があります。多くの人が「成長できる環境」という時、何を期待しているでしょうか。それは、「手厚い研修」「優れた上司(メンター)による指導」「挑戦的な(しかし失敗が許される)機会」といった、“与えられるもの”です。
彼らが求めているのは、言わば「快適な上りエスカレーター」です。ただ乗っていれば、自動的に自分を上のフロア(=成長)へ運んでくれる便利な装置なのです。
しかし、断言します。会社にそんなエスカレーターは存在しません。
会社は、顧客から対価をいただき、利益を生み出すために集う組織です。お金を払う側(生徒や学生など)なら「与えられるもの」に不満を言ってもいいでしょう。しかし、報酬をもらう側(社員)は、そもそも「与えられるもの」に文句を言う立ち位置にいません。私たちは「教わるため」にいるのではなく、「成果を出すため」に報酬を得ているのです。
この大前提を誤解したまま「私を成長させてくれない」と不満を口にするのは、プロのスポーツ選手が「練習メニューが物足りないから試合で結果が出せない」と公言するようなものです。本末転倒と言わざるを得ません。
識学が定義する「成長」とは「階段を上る」こと
では、識学では「成長」をどのように定義しているか。
それは、「できなかったことができるようになること」、もっと言えば「より大きな結果責任を果たせるようになること」です。
もし会社に「成長の装置」があるとするならば、それは「エスカレーター」ではなく、「階段」です。会社が用意するのは、あくまで「階段」そのもの。すなわち、「明確な目標」と「その達成(=結果責任)」の場です。そして、その「階段」を、自らの足で一歩一歩上るプロセスこそが、唯一の「成長」です。
具体的に説明しましょう。
1.目標(踊り場)の設定:会社から、あるいは自ら、明確な「結果」の目標(=次の踊り場)が設定されます。
2.「不足」の認識:そこへ上ろうとすると、必ず「現状の自分に足りないもの(=不足)」が明確になります。
3.「不足」を埋める行動:その「不足」を、自らの意志と行動で埋めようとします。知識が足りないなら学ぶ。スキルが足りないなら、人の助けを借りるか、自ら習得する。
4.結果の発生と責任:踊り場にたどり着いた結果(成功・失敗)を受け止め、再び次の目標に向かう。
「成長できる環境」を求める人の問題は、この「階段を上る」というきつい行動を避け、楽な「エスカレーター」を探し続けてしまう点にあります。
「環境」に依存する人の市場価値は上がらない
「環境」という言葉の危うさは、それが「自分以外の外部要因」を指す点にあります。
・「上司が育ててくれない」(=エスカレーターがない)
・「会社の制度が古い」(=エスカレーターが旧式だ)
・「任される仕事がつまらない」(=階段の景色が悪い)
これらはすべて、成長できない理由を外部に転嫁する「言い訳」です。
自らの成長を「環境」に依存するキャリアは、極めて不安定です。なぜなら、環境はコントロールできないからです。運良く「良い環境」に巡り合えば成長できるが、そうでなければ停滞する。これはキャリアを「運任せ」にしているのと同じです。
本当に市場価値の高い人材とは、「どのような環境(階段)に置かれても、定義された結果責任を果たせる(=上り切れる)人材」です。 環境に文句を言う「評論家」ではなく、与えられた場所で結果責任を果たす「プレイヤー」こそが、結果として最も成長し、市場価値が高まるのです。
「成長」をつかみ取るために、今日からすべきこと
では、環境に依存せず、自らの力で「階段」を上り始めるにはどうすればよいか。識学の観点から、2つのステップを提案します。
1.目の前の「階段(=結果責任)」を直視する
まず、今の職場で自分が何によって対価(給与)を得ているのかを再定義してください。「何時間働いたか」ではありません。「どのような結果を出すことを期待されているか(=上り切るべき階段はどこか)」です。
それが曖昧なら、上司と明確にすり合わせる必要があります。そして、その階段を上るために「不足」しているものを、他人から指摘されるのを待たず、自ら直視してください。それが成長のスタートラインです。
2.「インプット」ではなく「アウトプット」の場を求める
研修や勉強会(インプット)は、「階段の上り方」を学ぶ行為にすぎません。それ自体を「成長」と錯覚してはいけません。
本当に求めるべきは、「階段を上る」という「アウトプット」そのものです。今の仕事で圧倒的な成果を出し、「この人になら、もっと高く険しい階段(=より大きな結果責任)を任せられる」と周囲に認めさせること。それこそが、次の成長ステージへの最短ルートです。
まとめ
「成長できる環境」は、外に探すものではありません。それは、自らが「結果責任」を引き受け、「階段を上る」という覚悟を決めた瞬間に、今いるその場所に生まれるものです。
会社はあなたを運ぶエスカレーターを用意しません。会社が用意するのは、あなたが自ら上るための「階段」です。
読者のみなさまのように、豊富な経験を積まれた方々であれば、この原則はすでにご自身のキャリアの中で体感されてきたことかもしれません。
もし、あなたの周囲に「環境」を求めて迷っている方がいれば、この「成長の正体」を伝えていただければ幸いです。自らの足で立ち、責任を引き受け実践する。その「当事者意識を持った行動」こそが、年齢や環境にかかわらず、人を真に成長させ続ける唯一のエンジンなのです。
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