文/鈴木拓也

世界三大嗜好飲料といえば、紅茶、コーヒー、ココア。なかでもコーヒーは、世界で1日に20億杯も飲まれるといわれ、グローバルで見た貿易取引総額は、石油に次いで2番目の規模におよぶ。
われわれ日本人にとっても身近な飲み物であるが、その歴史と現在、流通や商業といった方面は、疎い方がほとんどではないだろうか。実は、コーヒーに関するそうした「教養」は、知れば知るほど面白く、いつもの一杯がより美味しくなることうけあい。
そこで今回は、9月に刊行された『教養としてのコーヒー』(井崎英典/SBクリエイティブ https://www.sbcr.jp/product/4815636043/)より、知ってためになる知識を一部紹介しよう。
イスラム世界で花開いたコーヒー文化
コーヒーの歴史は古く、古代エチオピアが発祥の地とされている。しかし、当時の現地人は、記録を残すための文字をもたず、はっきりとしたことはわからない。カルディという名のヤギ飼いが、コーヒーの実を食べたヤギが「元気になって踊りまわるの」を見て、自分も食べて云々という有名な話は伝説の域を出ておらず、真実は霧の中である。
飲み物としてのコーヒーがはっきりと文献に登場するのは、15世紀になってから。イエメンのイスラム法学者にしてスーフィーの導師、ムハンマド・アッ・ザブハーニーが、コーヒーの実を煮出した「カフワ」という飲み物を発明した。これが、現代人が飲むコーヒーの直接的な祖先ではないかとされている。
スーフィーとは、イスラム教の教派のひとつで、神との一体感を高めるため夜通し儀式をすることで知られる。カフェインの作用で眠気を抑えるコーヒーの効果は、この頃には認識されていたのである。
16世紀初頭には、メッカでコーヒーを飲む店「カフェハネ」が登場。カフェの発祥は、イスラム教の聖地であったというのは意外性がある。その後、コーヒーはヨーロッパへと広がり、特にロンドンでは、コーヒーハウスが爆発的に流行した。そこでは、「入店料1ペニー、コーヒー一杯2ペニーを払いさえすれば、身分・職業に関係なく、富める者も貧しい者も、誰でも入店」できた。これが、ロンドン市民の談論風発を促し、政治や経済にすら影響を与える風土を生んだ。
喫茶店ブームで日本のコーヒーが進化
他方、日本でコーヒーが普及し始めたのは明治時代に入ってから。1888年に日本初のカフェ「可否茶館(かひさかん)」が誕生した。ここは社交の場として利用されるのを意図したようで、トランプ、ビリヤード、書籍、文房具などを備えていた。しかし、利用料金の高さもあって、さほど人は入らず4年で廃業してしまう。
1911年に、会員制の「カフェー・プランタン」が銀座にオープン。黒田清輝、森鷗外、永井荷風といった文化人が集う店として一定の成功を収めた。もちろん、庶民派のカフェも続々と開業。「カフェーパウリスタ」のように、今も営業を続ける名店も生まれている。
店の数で見た黄金期といえば、喫茶店ブームが始まった1970年代がそれにあたる。1981年には、全国の店舗数が15万軒を超えるほどになった。当然ながら競争状態となり、コーヒーの品質で勝負を賭ける店が増えた。これが、日本のコーヒーのレベルを引き上げ、世界に影響を与えていくことになる。
茶道や禅に通ずるドリップコーヒー
日本では、コーヒーの淹れ方といえば、まっさきにドリップ方式が思い浮かぶ。
しかし、世界の主流はエスプレッソだという。
本書の著者でコーヒーコンサルタントの井崎英典さんは、第15代ワールド・バリスタ・チャンピオンの栄冠に輝いた方。その競技の場でも、エスプレッソで技を競い合う。
ひと口にエスプレッソと言っても、飲み方はいろいろ。小さなデミタスカップに少量の砂糖を加えて飲む元祖イタリア式だけでなく、カフェラテ、カプチーノ、フレーバーコーヒーにアレンジして飲むシアトル系もある。
ちなみに、コーヒーにミルクを加える飲み方が始まったのは17世紀のフランス。当時、コーヒーは体に悪いという風評が広まっていた。それを覆そうと、シュール・モナン医師が、「清純なミルクと合わせればコーヒーの毒性は消え、健康によい」と唱えた。これが、カフェオレの始まりである。
ところで、なぜ日本ではドリップ方式がもてはやされているのだろうか? 井崎さんは、次のように説明する。
私は、ドリップコーヒーには茶道や禅に通ずるところがあると思っています。ドリップでコーヒーを淹れる動きには、儀式的な要素を感じることができるからです。飲む前にゆっくりと決まった動きをすることで、心が落ち着き、目の前のものに集中できるのです。
スーフィーの儀式での使用、コーヒーハウスでの自由闊達な議論などの歴史を見ても、コーヒーの本質的な価値は「精神の解放」にありました。日本のドリップ式コーヒーは、カフェインの覚醒作用に加えて、面倒な手順を追うことで精神の解放に到達できる貴重な体験だと考えています。
(本書89pより)
この見解に頷かれるコーヒー通は多いのではないだろうか。井崎さんは、ブルーボトルコーヒーの創業者が、日本進出前の視察の際、喫茶店のマスターが丁寧にドリップする姿に感動したというエピソードを紹介している。今後は、ドリップ方式が世界に広まるかもしれない。
コンビニコーヒーがもたらす弊害
日本には、手間暇かけドリップで淹れるコーヒーとは対極的に、コンビニの専用マシンで注ぐ低価格のコーヒーもある。
井崎さんは、コンビニコーヒーについては、「バリスタの私から見ても素晴らしいです」と絶賛。来日したコーヒー関係者をもてなす際、コンビニに連れていくほど評価している。
となると、高品質なコーヒーを格安で提供できる理由を知りたくなるが、井崎さんは、コーヒー自体の採算はあまり考えない「販売促進費」だからと見ている。来店者は、コーヒーを飲んだら、サンドイッチやお弁当などをついで買いする可能性が高い。その部分で利益を出せれば、じゅうぶん元は取れるわけだ。
裏を返せば、下手にコストカットを頑張って低品質なものを出してしまっては、かえって客足を落としかねない。だからコンビニ各社は、「努力して美味しさを追求」している。
ただ、これには弊害もあるという。コンビニコーヒーに限らないが、日本企業は「いいものを安く作る」精神が強いため、「いいものが高く売れない」現状を招いている。カフェでも、高品質なコーヒーを安く提供し、薄利多売でしのぐところは少なくない。このアプローチが果たして正解か、井崎さんは疑問を投げかける。サービス業としての食の体験を享受してもらうには、相応の価格であってしかるべき。でないと、お金を出す側も受け取る側も豊かになれないと警鐘を鳴らす。
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長くなるためここでは割愛したが、本書は、コーヒーの栽培・収穫、業界の抱える問題点、自宅でできる美味しいコーヒーの淹れ方など、コーヒーに関する様々な事柄がコンパクトにまとめられている。コーヒー愛好家なら、ぜひ読んでおきたい1冊だ。
【今日の教養を高める1冊】
『教養としてのコーヒー』

定価1045円
SBクリエイティブ
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。











