
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)がいよいよ最終回を迎えました。
編集者A(以下A):大河ドラマの男性主人公は、武将だったら甲冑に身を包み、配下を鼓舞するなど大きな動作で存在感を示すわけですが、蔦重は本屋の主。物語前半に吉原で大樽に閉じ込められたり、階段から落されるシーンがありましたが、武将などに比べたら動きの少ない役でしたので、演じるのは難しかったと思います。にも関わらず、横浜流星さんは、見事に演じきりました。1年間楽しませていただいたことに感謝の意を表したいと思います。
I:『水戸黄門』や『遠山の金さん』『鬼平犯科帳』『大岡越前』など往年の人気時代劇と比しても、印篭だしや、桜吹雪、お白州、さらには殺陣があったりするわけでもないですしね。ほんとうに難しかったと思います。
A:大河ドラマの主人公でいうと1978年『黄金の日日』の呂宋助左衛門(演・六代目市川染五郎=現二代目松本白鸚)が商人ということで、比較的動きが少なかったのですが、戦国時代が舞台ですから、周辺はやはり戦のただ中だったわけです。そういうことを考えるとやっぱり横浜流星さんはすごいなと思います。
蔦重の最期の場面で思うこと
I:さて、浮世絵師の栄松斎長喜が登場しました。演じたのは岡崎体育さん。『どうする家康』では、鳥居強右衛門役で登場した回は「涙の感動回」と評されていたのを思い出します。
A:栄松斎長喜は、美人画の雄のひとりで、この時代の愛好家は「あ、長喜は登場しないのね」と思っていたかと思うのですが、最終回での登場です。このあたり、抜かりないなって印象です。
I:そうした中で、主人公の蔦重が最期の時を迎えようとしています。劇中では、その過程に合わせて宿屋飯盛の筆による墓碑銘に刻まれたエピソードが再現されましたが、最期は、大田南畝(演・桐谷健太)の音頭で、「屁! 屁! 屁!」の「屁踊り」が、はじまりました。これまでの、「屁踊り」とは違って、うら悲しい雰囲気でしたね。その「屁踊り」の中で、蔦重は息を引取り……いや、まだ息を引き取る前に物語は拍子木とともに幕を閉じました。
A:私などは、ぜひ紅白歌合戦の舞台で「屁! 屁! 屁!」とやってほしいのですが、だめでしょうね。2023年の『どうする家康』の際にも紅白歌合戦の舞台で「えびすくい」をやってほしいと熱望していたのですが……。まあ、「屁踊り」というものが実際にあったかはともかく、「田沼時代の開放的な雰囲気」を表現してくれました。
I:『べらぼう』が始まる前の横浜流星さんの取材会で、横浜流星さんが、蔦重のことを自分とは真逆のキャラクターという意味のことをいっていたのが印象に残っています。横浜流星さんは常にストイックな姿勢で役に取り組むことが知られていますが、『べらぼう』のチーフ演出の大原拓さんもそのあたりについて語ってくれています。
脚気は最終的にはやつれていくので、横浜流星さんご本人も意識して、食事絶ちだけじゃなくて、水絶ちもして、なんかもう最後の方はボクサーのように落としてこられていました。だから、ここら辺(鎖骨あたり)がだいぶ……胸元とかも、だいぶ違いますよ。よく見ていると。もちろん、顎のラインも。逆に普段の蔦重は、ご飯食べてる時は、実は横浜さん、ちょっと太らしてくれてたんですよ。役のためにご飯を食うようにしたりして、ちょっと心持ち大きくしたりとか、太るようにしてくれてたんですよね。そういったところも含めて、さらにそこからどんどん落としていってくれたっていう感じですね。だから、弱っていく瞬間というのは、撮影としては、本当に1週間とか2週間で表現しなくちゃいけなかったんですけど、でも、その中でも弱っていくところに向けて作り込んでいってくれましたね。物理的にも。あとは、精神的な部分というのは、お医者さんとも話して、どういうふうにしていくのか、どういう体勢で最期を迎えようかというふうに。寝たきりにする? やだよね、とか、そういうような話もしながらやったという感じですね。
A:おそらく、やつれた姿などは、メイクでだいぶフォローできるのだと思いますが、横浜流星さんは、しっかり「やつれた姿」で演じられるように体重を落としたということなのでしょう。映画『春に散る』でボクサー役を演じた際には、ボクサーのC級ライセンスを取得したとも伝えられています。大河ドラマでいうと、先ごろ亡くなった仲代達矢さんが『新平家物語』(1972年)で平清盛を演じた際に、出家する清盛を演じるにあたって実際に髪を剃ったことが知られています。いずれも「役者魂」を感じるエピソードです。
I:昨年の大河ドラマ『光る君へ』でも、道長役の柄本佑さんが剃髪していましたね。大河に受け継がれる「役者魂」ですね。
アフター「蔦重」の時代はどうなる
A:蔦重が亡くなったのは寛政9年(1797)。世界に目を転じれば、欧州では産業革命が進行中です。フランスではフランス革命(1789)が起こっています。『べらぼう』劇中ではロシア帝国が蝦夷地に来航してきたことに触れられていましたが、このときのエカテリーナ号はまだ帆船です。
I:蔦重の時代にはまだ帆船でしたが、「たった四杯で夜も眠れず」とうたわれたペリー艦隊の4隻のうちの2隻が蒸気船というのが嘉永6年(1853)になります。
A:徳川将軍家で時代の流れの指標にすると、『べらぼう』の第11代将軍家斉ですが、第14代家茂までは一橋治済の流れが将軍職をつないでいきます。第15代慶喜は水戸家出身ですが、養家の一橋慶喜からの将軍を継承しています。明治維新後に徳川宗家を継承した田安亀之助(後の第16代徳川家達)は、治済のひ孫から田安家を継いでいました。第17代は家達の嫡子家正ですが、第18代を継ぐはずだった徳川家英は東北帝国大学在学中に早世します。「家」の字を背負った嫡子が家督を継承せずに亡くなるのは、『べらぼう』でも登場した徳川家基以来のことになりました。ここで徳川宗家から治済の流れは絶えるのです。
I:時代を象徴する「屁踊り」でしたが、もう二度と開放的な時代には戻りませんでした。蔦重の死後、天保の改革などでも出版統制が行なわれたようです。
A:いったい、蔦重の死後、日本はどんな時代になるのか。2年後の大河ドラマ『逆賊の幕臣』でその答えが出るという流れになります。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ~べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。11月10日に『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』も発売。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











