右近(うこん)は、平安時代中期に活躍した女流歌人です。父である右近少将・藤原季縄(ふじわらのすえなわ)の官職名が通称となり、醍醐天皇の中宮・穏子(おんし)に仕える女房として、華やかな宮廷世界でその才能を発揮しました。

「天徳四年内裏歌合」をはじめとする数々の晴れやかな歌合に参加し、その優れた歌才は広く認められていました。『後撰和歌集』や『拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に歌が収録されているほか、後世に編まれた「女房三十六人歌合」の一員にも選ばれており、実力派の歌人であったことがうかがえます。

右近『百人一首画帖』より
(提供:嵯峨嵐山文華館)

目次
右近の百人一首「忘らるる~」の全文と現代語訳
右近が詠んだ有名な和歌は?
右近、ゆかりの地
最後に

右近の百人一首「忘らるる~」の全文と現代語訳

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

【現代語訳】
忘れ去られる私自身のことは何とも思わない。ただ、いつまでも愛すると、かつて神に誓ったあの人が、命を落とすことになるのが惜しまれてならないことよ。

『小倉百人一首』38番、『拾遺集』870番に収められています。この歌は、心変わりした恋人へ贈られた、非常に情念の深い一首です。一読しただけでは、どこまでも相手を思いやる健気な女性の歌に思えますが、その裏には痛烈な皮肉と、断ち切れない愛情が渦巻いています。

「あなたに忘れられる私のことなんて、どうでもいいのです」
これは、言葉通りの自己犠牲ではありません。本心では悲しくてたまらないけれど、あえてそうではないと突き放す「強がり」です。自分の悲しみを一旦脇に置くことで、次に続く本題、つまり相手への痛烈な一言を際立たせる効果があります。

「私が心配なのは、神に永遠を誓ったあなたの命よ」
現代の私たちにはピンとこないかもしれませんが、平安時代、神仏への「誓い」は絶対的なものでした。それを破ることは、神罰が下り、命さえ奪われかねないほどの重罪と考えられていました。

つまり、右近はこう言っているのです。
「あなたは神との約束を破った大罪人。罰が当たって死んでしまうかもしれませんよ」

これは、相手の身を案じるふりをして、「神罰」を盾に相手を責める、きわめて高度で痛烈な「皮肉」です。相手への恨みや怒りを直接ぶつけるのではなく、「あなたの命が心配」という優しさの仮面を被せて相手に突きつける、非常に知的な攻撃といえるでしょう。

この歌の背景には、当代きってのプレイボーイ・藤原敦忠(ふじわらのあつただ)との恋があったと『大和物語』は伝えています。心変わりした敦忠にこの歌を贈ったものの、返事はなかったとか。その仕打ちを思えば、この歌に込められた恨みの深さも理解できます。

とはいえ、皮肉や怒りの奥底に、それでもなお「相手の命が惜しい」と思わざるを得ない、どうしようもなく断ち切れない愛情や未練がある。その激しくもひたむきな女性の恋心こそが、千年後の私たちの胸をも打つのです。

右近『百人一首画帖』より
(提供:嵯峨嵐山文華館)

右近が詠んだ有名な和歌は?

右近は恋多き女性としても知られており、恋の歌が数多くあります。その中から紹介します。

おほかたの 秋の空だに わびしきに 物思ひそふる 君にもあるかな

【現代語訳】
何ということもない秋の空でさえ侘びしいものなのに、このうえ更に物思いを添えるあなたですよ。

『後撰集』423番に収められています。詞書には「あひしりて侍りける男の久しうとはず侍りければ、長月ばかりにつかはしける」とあり、男の訪れが長く途絶え、晩秋九月に贈った歌です。「秋」に「飽き」を掛け、飽きがちになった恋人への恨みをこめた歌です。

右近、ゆかりの地

右近ゆかりの地を紹介します。

醍醐寺

京都市伏見区にある醍醐寺は世界文化遺産です。ここは醍醐天皇と中宮穏子が帰依した寺で、右近は中宮穏子に仕えていました。

最後に

今回は、右近の「忘らるる~」の歌を取り上げ、その背景にある物語を紐解いてまいりました。わずか三十一文字の中に、詠み人の人生や恋、そしてその時代に生きた人々の価値観までが、ぎゅっと凝縮されています。優しさと見せかけた、痛烈な皮肉。そして、その裏に隠された、捨てきれない一途な想い。この二面性こそが、この歌が持つ最大の魅力といえるでしょう。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)

アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)

●執筆/武田さゆり

武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。

●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com

●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp

 

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