ライターI(以下I):12月29日(日)午後0:15~午後4:03、5巻にわけて2024年の大河ドラマ『光る君へ』の総集編が放送されます。
編集者A(以下A):このタイミングで藤原道長の直系子孫である近衛忠大さんに登場いただき、『光る君へ』の感想を聞きたいと思います。近衛さんも『光る君へ』を楽しみに見ていたそうです。取材当日は、NHKオンデマンドで、道長(演・柄本佑)の「この世をば我が世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」を描いた第44回を再視聴しながら、ざっくばらんに歓談した形になります。藤原道長の子孫は、頼通、師実、師通、忠実、忠通と続き、源頼朝の時代に近衛家、九条家に別れます。やがて、近衛流から鷹司家が別れ、九条流からも一条家、二条家が別れて「五摂家」が成立します。いずれも道長の子孫になります。以降、幕末まで貴族社会は五摂家が中心になっていきます。明治維新以降、昭和に入っても、近衛文麿が首相に就任するなど、この1000年間、日本の中枢に常に道長の子孫がいるということになります。
I:今回ご登場いただく忠大さんは、昭和45年生まれで、映像作家、クリエイティブディレクター、デザイナーを務める傍ら、宮内庁式部職として毎年正月に皇居で行なわれる宮中歌会始で講師(こうじ)をつとめています。父は五摂家筆頭の近衞家現当主の近衞忠煇さん。母は三笠宮崇仁親王殿下・百合子妃殿下の娘甯子さんになります。まずは、『光る君へ』に抱いた印象から伺いました。
近衛:これまでも大河ドラマで公家が登場することがありましたが、仰々しかったり、なよなよした仕草などで描かれたりすることが多い印象がありました。『光る君へ』では、ある意味今風というか、共感できるような形で描かれていたので、そういうところはすごく良かったですね。
I:『光る君へ』前半戦では英国のポロのような打毬に興じる場面や、道長と伊周(演・三浦翔平)が弓競べをする場面が登場したり、アクティブな貴族たちの姿が描かれました。
近衛:打毬のシーンは確かに非常に印象的でしたね。貴族の中には弓の達人がいたことも描かれましたし、武士のようにめちゃめちゃワイルドではないですが、これまでの貴族のイメージが払拭されたのではないでしょうか。さらに歌会などの学びに、宴会、遊興など、そんなに時間があったんだろうかと思うほど、貴族の日常が描かれました。
A:朝6時から出勤して仕事をしていたと言いますよね。
近衛:全体的に今よりも前倒しの時間割だったんだと思いますけど、それにしてもいつ勉強してたんだろうと思います。『万葉集』やら『古今集』やらを学んだり、編纂したりしていましたからね。これまでは、貴族の日常は8割方遊んでいたと思われていたかもしれません。実際には、朝早くからけっこう仕事していたのですよね。
I:天皇や貴族の私生活の描写も充実していましたね。家族であっても天皇や皇后には敬語を使っていました。
近衛:そういうことももちろんあったでしょうけどね。でも、実際にはもっともっと近かったようにも思います。結局は家族ぐるみだし。一応、形式的には御簾がかかっていて中途半端にそこに立ち入ることもできないわけですが、そうはいっても毎日毎日ああいう格好をして天皇が御簾の向こうの玉座に座っているわけでもないと思いますので。普段着で、宮中で遊んでいるところを通りがかって、どうもどうも、みたいなこともあったと思うんですよね。
A:なるほど。
近衛:実際、私も、東宮御所の中でランニングしていらっしゃる方がいたので、皇宮警察の方かと思って会釈したら、陛下だったなんてこともありました。両陛下がまだ皇居にいらっしゃる前、一時的に東宮御所にいらした頃です。僕の中では完全に、東宮御所でよもや陛下にお目にかかることはないと油断していたんですが。
たまたま、父と一緒に祖母(故・三笠宮百合子殿下)のところに遊びに行っていたんです。祖母のところにはちょくちょく遊びに行っていたのですが、その日も親父とふたりで遊びに行っていました。天気もいいしちょっと散歩でもしようということになって歩いていたら、陛下がランニングされていた、というわけです。皇太子殿下でいらした時にはランニングされているところをお見かけしたことはあったんですけど、まさか即位されてからランニング中にお目にかかるとは驚きでした。もちろん今も公式の場ではお互いにモーニングを着て遠いところからごきげんようといった感じですが、実際はもっともっと近しい関係にありますからね。普段は気軽な会話をしています。
I:普段、ということでいうと、『光る君へ』では一条天皇(演・塩野瑛久)はじめ、天皇たちが装束のとんぼを外して着ていたりして、リラックスした着方をしているのが印象的でした。
近衛:表向きとプライベートでの強弱はありますよね。僕も祖父母と同じ空間にいる時、表向きでは殿下とか妃殿下とか呼んでいましたし、祖父母が立ち上がったら即座に全員起立します。そういう所作も身についています。でも、いざ普段着になったら全然フランクで、「ねえねえ、それ取って」みたいな感じですよ。そのギャップをドラマで描いていただいていたら、もう少し、天皇と藤原氏の関係性が見えるのかなと思ったりしました。
A:確かにドラマの中ではプライベートでも道長は彰子に敬語でしたしね。でも、そういう関係性が見えてくると、最終回で黒木華さんが演じた源倫子が「次の帝もその次の帝も我が家から出しましょう」といった言葉のニュアンスが違ってきますね。
近衛:源倫子の台詞は、野望とかダイナスティを築くとかいったことじゃなくて、もっともっと緩やかに、ファミリーとして、我が家でそういう慶事が続くといいよね、ずっと家族が幸せでありますように、といったニュアンスだったと思いますね。いつまでもこういう家族でいたいね、っていうことだったと思うのです。
I:それにしても、未だに道長の子孫と皇室がこうして1000年経っても血縁関係を更新しているっていうのがすごいですよね。
近衛:まあそうですね。僕の母親も三笠宮家から近衛家に嫁いできているわけですからね。(天皇家と藤原家・近衛家の)相互乗り入れの回数でいうと、何回相互乗り入れしてるんだろうと考えることがあります。でも、『光る君へ』では相当いろんなことが描かれていたと思いますし、今までとは全然違うアプローチで描かれていたと思います。
【望月の歌。次ページに続きます】