「刀伊の入寇」その後
事件後、朝廷では功績を挙げた者たちへの論功行賞が議論されました。しかし、一部の公卿からは「正式な追討命令(官符)到着前の戦闘であるため、恩賞は不要」との意見も出され、積極的な褒賞は行われませんでした。貴族政治の形式主義が、ここによくあらわれているようです。
まとめ
「刀伊の入寇」は、日本史における外敵侵入の中でも、被害の大きかった事件の一つです。藤原隆家を中心とした防衛活動により、女真族のさらなる侵攻を防ぐことができましたが、朝廷の対応には課題も残ったといえるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)