三条天皇との確執がエスカレート
I:さて、三条天皇と道長両者の確執は、さらにエスカレートします。娍子の立后の日に中宮姸子の内裏参入の日を合わせようという「嫌がらせ」のようなことを行なうことになりました。なんで同日にやるかというと、吉祥日を選べば自然に被るということに加えて、昼と夜に分ければ問題ないのではという安易な判断があったことが背景にあるのですが、とんでもない事態になりました。ちょっと「ブラック道長」が強すぎるのですが、いかがでしょうか。
A:三条天皇も娍子立后を昼から、姸子の内裏参入を夜にということで事態を打開しようと試みたんですけどね。その結果は、三条天皇の面子を思いっきり叩き潰す感じになりました。娍子立后の儀式に参加した公卿は、実資(演・秋山竜次)と養子の資平(演・篠田諒)、隆家(演・竜星涼)くらいで、寂しいというか、面子丸つぶれという感じになりました。
I:儀式の上卿を務める立場の人間がいなかったというのは、なんとも不毛なバトルのような気がします。本来ならば、たくさんの公卿に囲まれて祝宴を催される立場だった皇后娍子が不憫でなりません。
A:皇后娍子の宴席の膳が空席だらけ、一方で中宮姸子側は大盛況でしたからね。
後宮の争いはとても恐ろしい
A:ただ、この話題だけを考えると娍子が不憫と思えるかもしれませんが、そうともいえないこんなエピソードがあります。東宮時代の三条天皇には、藤原道隆の次女藤原原子が入侍していました。姉の定子が一条天皇に入内していましたから、道隆は、一条天皇とその東宮居貞親王それぞれに娘を入内させていたことになります。ところが、道隆が亡くなり、実家の権勢が衰えた後の長保4年(1002)に原子が突然亡くなります。『栄花物語』には、「鼻や口から血を流してあっという間に亡くなられた」と不穏な話が記されています。驚くべきことに当時の人々は、先に入侍していた「宣耀殿の女御(娍子のこと)」が「尋常ならざることを仕掛け申されたものだから、こんなこと(原子急死)になられたのだ」と噂されたというのです。
I:呪詛かあるいは毒を盛ったということなのですかね? いずれにしても、娍子にとっては原子が邪魔だったということが伝わってくる話です。
A:帝の寵愛を受ける立場になるための競争の激しさ、面子の確保。後宮の覇権争いは強烈だったんですね。
実資の愛娘「千古」
I:堅物で堅実だった大納言藤原実資が50歳を越えてからもうけた女子千古(ちふる)が登場しました。親ばか全開という感じで千古をあやす実資の姿が印象的です。
A:実資の「藤原北家小野宮流」は娘を天皇に入内させうる家柄です。おそらくなにもなければ実資も千古の入内を望んだことと思います。ところが、その願いは、道長、頼通(演・渡邊圭祐)父子の「妨害」にあって実現しなかったといいます。
I:遅くに生まれた千古にメロメロな実資なのですが、千古のことを「かぐや姫」と呼んでかわいがったそうですね。この親ばかぶりが藤原北家小野宮流の財産を流出させる事態を招くのですが、それはまた千古が大人になってからのことなので、『光る君へ』の劇中で描かれるかどうか、彼女がどこの誰と結ばれるのかはここでは伏せておきましょう。
A:藤壺から枇杷殿(びわどの)に移った皇太后彰子ですが、道長に枇杷殿にかかる予算を減らすように頼みます。「前の帝は寒くともいつも薄着でおわした」と一条院を追慕しながらですが、民のかまどから煙りが出ていないのをみて、税を3年ゼロにしたという仁徳天皇の故事を想起させる台詞でした。そういえば、先日行なわれた衆院選の際に、ある政党の党首が、この仁徳天皇の故事を演説で触れていましたよ。
I:まあ、なにはともあれ、三条天皇中宮となった姸子の散財対策でしょうね。姸子は以前、土御門(実家)の金をもあてにしているようなことをいっていましたから、よっぽど宴会好きだったのでしょう。
【石を投げられたという道長。次ページに続きます】