世界的な希少性が高まる中、国内で唯一、金鉱石を産出する鉱山が鹿児島にある。そこは日本の鉱山技術を継承する場でもある。
現在、商業規模で操業する国内唯一の金鉱山である菱刈鉱山は、霧島連峰の北西、鹿児島県伊佐市の静かな山間にある。
菱刈鉱山から掘り出される、近年の金の量は年間約4トン。その特徴は、産出される鉱石に含まれる金量の多さだ。世界の主要金鉱山の金の含有量は、1トンあたり平均3~5g 。5g あれば優良な金鉱山とされる。
対して菱刈鉱山の鉱石には、約20g もの金が含まれる。これほど高品位な鉱石が採れるのは、世界でも非常に珍しいという。
住友金属鉱山が菱刈鉱山の操業を開始したのは1985年。日本では1960年代から’70年代にかけて、愛媛県にある同社の別子銅山など、全国的に鉱山の閉山が相次いだ。資源の枯渇が叫ばれる中、新たな鉱山を見つけるための調査が始まり、発見されたのが菱刈鉱山だった。同社広報グループの橋本淳史さんが語る。
「鉱山の業界では“千三つ”といわれ、ボーリングによる1000本の試掘で鉱脈が3本見つかれば御の字、とされています。ところが、開山前に行なわれた菱刈鉱山での試掘では、18本のボーリングのすべてが金鉱脈に当たった。開山の頃は鉱石に含まれる金の量も今より多く、一目見て“これは金だ”とわかるほどの含有量だったとの記録が残っています」
現在、菱刈鉱山には172の鉱床が見つかっている。開山当初の埋蔵量は120トンとされていたが、その後も調査が行なわれるたびに埋蔵量は増え続けた。操業を開始してから40 年間ほどで採掘された金の総量は、すでに264トン超。これは日本屈指の金山として知られる佐渡金山で採掘された総量の3倍以上に当たる。
また、現時点で判明している残量だけでも、いまだ155トンが眠っているという。今後、年間4トンの産出を続けたとしても、35年以上は操業できる計算だ。
地域の旅館に温泉を供給
操業から約40年。現在、菱刈鉱山での採掘はどのように行なわれているのか。技術継承の場でもある採掘の様子を紹介したい。
住友グループの商標「菱井桁」の掲げられた鉱山の入口から、車で300mほど下る。そこから車を降りて坑道の先端部に徒歩で向かうと、その先に現れるのが、海抜マイナス20mの位置にある採掘現場だ。
坑内の温度は30℃と高い。菱刈鉱山の鉱床は「浅熱水性鉱脈型金銀鉱床」と呼ばれる。これは地中深くのマグマに熱せられた水が地表の割れ目に流れ込み、熱水に溶け出した物質が冷えて固まったものだ。菱刈鉱山の金鉱脈がそのように形成されたのは約100万年前とされ、地質学的にはとても新しい鉱山だという。
坑内の温度が高いのは、鉱脈中に約65℃の温泉水が伴うからだ。採掘はその温泉水を抜きながら行なわれ、ポンプ設備から排出される温泉は毎分9000L。3分の1が地域の温泉旅館に供給され、残りは温度を下げるなどの処理を施してから、河川に放出している。
そんな高温多湿の坑内の岩壁に、白い筋のように走るのが金の鉱脈である。
採掘はまず、垂直に走る鉱脈に対して、水平方向から「ジャンボ」と呼ばれる穿孔 (穴をあけること)マシンで深さ約2.5mの孔(穴)を約50個空ける。
次に、それぞれの孔に含水爆薬を装填。全作業員の坑外退避後、「発破」によって鉱石を砕く。
砕かれた鉱石は輸送車に積み込まれ、地上の鉱石処理施設へ運ばれる。
安全に充分な配慮がなされたうえで、坑内での採掘作業が今日も続いている。
【坑内】良質な「金鉱石」を掘り起こすまで
1.穿孔
2.発破
3.運搬
採掘された鉱石は、自動選別機と手作業によって、金を含む石と含まない石に仕分けされる。鉱石処理施設で働く従業員の多くは地元の女性たちで、てきぱきと鉱石を選別していく。
その後、選別された金鉱石が輸送船で運ばれるのが、住友金属鉱山の東予工場だ。愛媛県の西条市と新居浜市にまたがり、主に銅の製錬を行なう同社の主力工場となっている。
金鉱石はこの工場で銅の鉱石とともに溶かされ、その中から化学的に金だけが取り出される。
【抗外】貴重な資源が「金製品」になるまで
4.選別
5.輸送
6.鋳造
100年操業に向けた運営
世界的には産出される金の50%近くは宝飾品に加工されるというが、日本で製錬される金の多くは工業用品に使われるという。
同社では将来を見据えながら、金の産出量を調整し、できるだけ長い期間、菱刈鉱山を運営していく方針という。
「弊社では菱刈鉱山での採掘を、100年は続けたいと考えています。理由は、地元の雇用継続と鉱山の技術を次世代に受け継ぐためです。弊社は海外にも複数の鉱山の権益を保有していますが、技術者の育成は欠かせません。
国内で鉱山の運営・管理を学べるのは、現在、菱刈鉱山が唯一です。その意味で、鉱山技術を学べる日本で唯一の『学校』でもあります」(橋本さん)
かつて世界有数の金の産出量を誇った日本。資源の枯渇だけでなく、技術の衰退も免れたい。
写真協力/住友金属鉱山
※この記事は『サライ』本誌2024年6月号より転載しました。