『蜻蛉日記』作者が語った「妾の痛み」
I:さわ(演・野村麻純)の発案でまひろは石山詣でをすることになりました。「このままずっと夫をもてなければ、一緒に暮らしません?」という、現代でも周囲で交わされる台詞が飛び出しました(笑)。
A:平安時代は石山詣でというのが流行していたようですね。石山寺は現在の滋賀県大津市にありますから、ただ歩いて行くだけなら京から4、5時間ほどの距離。京都駅から石山寺最寄りの石山駅までは、新快速で13~14分という距離感です。
I:劇中でも説明された通り、当時「石山詣で」が流行していたようです。『蜻蛉日記』には、道綱母(劇中では寧子/演・財前直見)が思い立って石山詣でに出かけることにした際のことが記されています。誰にもいわずに出立したのに、従者が賀茂川あたりで追いついて来たという記述があり、笑ってしまいました。
A:きっと百舌彦(演・本多力)や乙丸(演・矢部太郎)のような人が慌てて追いかけてきたのでしょうね。情景が目に浮かびます。藤原道綱の母は、明け方に出立して午後5時くらいに石山寺に到着したといいます。
I:13時間くらいかかったことになりますね。なんでそんなに時間がかかったのかと思うのですが、道中、幕を張って「お弁当休憩」をするなど、遠足のような行程だったんですよね。石山詣ででは、牛車に乗っていく人たちもいたようです。牛車の方が時間がかかるのではないかと思ったりしますが(笑)。
A:さて、石山寺では、まひろらと寧子が鉢合わせすることになりました。そこで、寧子は妾の痛みをまひろに説きました。
I:まひろが幼い頃に『蜻蛉日記』に触れていたことを寧子は感嘆していましたが、刊本ではない『蜻蛉日記』を中級貴族のまひろが読むことができたのでしょうか。
A:人物叢書『紫式部』(今井源衛著/吉川弘文館)には、紫式部の母方の祖父藤原為信の兄為雅が「道綱母」の姉妹と結婚していた縁があったということで、『(紫)式部の義理の大伯母に当たる道綱母の姉を通して『蜻蛉日記』を読み、その異常な内容に衝撃を受けていたのではなかろうか』と解説されています。同書には「『源氏物語』には『蜻蛉日記』の影響と思われる点が多い」とも記されていますね。
I:そういうことを勘案すると、石山詣ででまひろと寧子がじっくりやり取りする場を設定するのは粋な計らい。「妾の痛み」を寧子に語らせるなんて最高の演出ですよね。私は感じ入ってしまいました。
A:この場面をきっかけに『蜻蛉日記』を読んでみたいという人が増えたらいいですね。
【道綱のひとめぼれと人違い。次ページに続きます】