ライターI(以下I):『光る君へ』第15回では、藤原氏全盛の中で孤軍奮闘して左大臣として活躍した源雅信(演・益岡徹)が亡くなりました。
編集者A(以下A):第59代宇多天皇、第60代醍醐天皇はいずれも子だくさんで、皇子、皇女が多かったのですが、源雅信は宇多天皇の孫の宇多源氏。娘の倫子(演・黒木華)と道長(演・柄本佑)の縁談に最初は反対していましたが、道長と倫子の結婚により、宇多源氏の源雅信一家は、ほかの賜姓源氏と比較しても貴族社会ではまずまずの地位を確保します。
I:結果的に道長と倫子の結婚が功を奏したということですね。
A:いかに天皇の子孫といっても、3代目、4代目には官職につくのも苦労するのが常でした。中には零落するケースもあったことをストレートに描いたのが1976年の『風と雲と虹と』。嵯峨天皇の曾孫という貴子姫(演・吉永小百合)が荒れ屋敷に住みながら平将門(演・加藤剛)らと交流していくという流れでした。貴子姫はやがて遊女にまで身を落とし、非業の死を遂げるという衝撃的な展開でしたが、貴族社会の厳しさを伝えてくれました。
I:そういうことを考えると、倫子も宇多天皇の曾孫という立場ですから、道長との縁談は大成功だったということですね。
A:源雅信の子孫で面白いのは、一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で源実朝(演・柿澤勇人)が暗殺された際、一緒に殺された源仲章(演・生田斗真)も雅信の四男扶義の子孫になります。そして、同じく『鎌倉殿の13人』で歯がなくって何を言っているか判別するのが難しかった佐々木秀義(演・康すおん)を含む佐々木一族も雅信の子孫といわれます。
I:佐々木一族が源雅信の流れを汲むということは、大河ドラマ『太平記』(1991)で陣内孝則さんが演じた佐々木道誉や、『毛利元就』(1997)で緒形拳さんが演じた尼子経久も雅信の子孫ということになりますね(異説もあり)。
A:藤原摂関家が同族で権力争いを繰り広げる中で、長く左大臣を務めた、源雅信の生涯もそれなりに充実したものだったと言っていいのかもしれないですね。
【源雅信を演じていた益岡徹さんからのコメント。次ページに続きます】