藤原行成を後任に選んだ源俊賢
四納言として、その能力を高く評価された俊賢。道隆によって任命された蔵人頭を辞任する際、当時24歳だった藤原行成を後任に選んだとされます。後に能書家として名声を上げる行成ですが、この頃はまだ役職にはついていませんでした。
早くに親を亡くし、出世できないままでいた行成にとって、蔵人頭への任命は願ってもいないことだったと言えます。そのため、行成は俊賢に深く感謝し、彼より位階が上になっても、決して上座には座らなかったそうです。
一方で、「賢人右府」と評価された公卿・藤原実資(さねすけ)からは、「貪欲でずる賢い人物」と非難されています。氏長者として権勢を振るっていた道長に追随する俊賢が、実資の目にはこびへつらっているように見えたのかもしれません。
まとめ
後ろ盾をなくしながらも、自らの力で出世への道を切り開いた源俊賢。残された史実や逸話からは、勤勉で世渡り上手な一面を垣間見ることができます。常に公正な立場を保っていた実資とは対照的に、「長い物には巻かれろ」の精神で成功をつかみ取った人物と言えるのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『山川日本史小辞典』(山川出版社)