はじめに-源俊賢とはどんな人物だったのか?

源俊賢(みなもとのとしかた)は、平安時代中期の廷臣です。醍醐天皇の皇子で、左大臣を務めていた源高明(たかあきら)を父に持つ俊賢。安和2年(969)に発生した「安和の変」で、高明は失脚してしまったため、俊賢は幼くして後ろ盾を失いました。

親の社会的地位が子どもの出世に影響していた当時、父親の失脚は大きな痛手だったと言えるでしょう。しかし、時の権力者・藤原道隆(みちたか)や道長たちからの信任を得ることができた俊賢は、順調に官途を辿ることができたのです。

文才があったとされ、四納言(一条天皇の治世で活躍した4人の優秀な公卿のこと)の一人として高く評価されている俊賢。頭が良く、先見の明に長けた公卿というイメージがありますが、実際の源俊賢はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原道長のもう一人の妻となった明子の兄で、父・高明を政変後に失うも、持ち前のバランス感覚で地道に出世する四納言のひとり(演:本田大輔)として描かれます。

源俊賢

目次
はじめに―源俊賢とはどんな人物だったのか?
源俊賢が生きた時代
源俊賢の足跡と主な出来事
まとめ

源俊賢が生きた時代

源俊賢は、天徳4年(960)に生まれます。俊賢が生まれた頃、強い権力を有していた藤原氏は、ほかの貴族たちを圧倒していました。さらに勢力を拡大させるべく、他氏排斥を行った藤原氏。俊賢の父・高明も、藤原氏の謀略によって失脚させられた一人です。

俊賢は、幼くして自分の実力だけで、厳しい貴族社会に挑まなければならなかったのです。

源俊賢の足跡と主な出来事

源俊賢は、天徳4年(960)に生まれ、万寿4年(1027)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

「安和の変」で父親が失脚

源俊賢は、天徳4年(960)、左大臣・源高明の子として生まれました。高明は、「延喜の治」として治世を高く評価された醍醐天皇の子で、正妻の姉妹が天皇の中宮となるなど、一族も繁栄していたと言えます。しかし、自分たちの立場を揺るがす存在として、藤原氏から目をつけられてしまうことに……。

天皇家との関係性を深めていた藤原氏にとって、高明のような他氏に介入されるのは不都合だったのです。高明を失脚させるべく、安和2年(969)、藤原氏は高明が皇太子の廃立を図っているとして、高明を大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷しました。

そして、まだ幼い俊賢は父の後ろ盾に頼らず、自分の力で出世をつかみ取るしかなくなってしまったのです。

道隆・道長からの信任を得る。次ページに続きます

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