道隆・道長からの信任を得る
幼くして、後ろ盾をなくしてしまった俊賢。その後、一条天皇の治世で蔵人(くろうど)を務めました。また、同時期に、関白として政界を牛耳っていた藤原道隆と交流を持ち、正暦3年(992)、蔵人頭に任命されます。
さらに、長徳元年(995)には参議に任命されるなど、道隆から信頼されていたことが分かります。道隆の病没後、強い権力を有するようになった道長に追随した俊賢。道長は、忠勤で世知に長けた俊賢のことを、高く評価していたそうです。
寛仁元年(1017)、道長からの信任を得た俊賢は、権大納言に任命されることとなります。また、儀式について精通しており、文才もあったとされる俊賢は、藤原公任(きんとう)・藤原斉信(なりのぶ)・藤原行成(ゆきなり)とともに「四納言」と称され、優れた才能を持つ公卿として高く評価されました。
俊賢のその後については、詳しく分かっていません。一説では出家したと考えられています。道隆・道長の政権下で活躍した俊賢は、万寿4年(1027)、68年の生涯に幕を閉じることとなったのです。
【藤原行成を後任に選んだ源俊賢。次ページに続きます】