はじめに−梁田政綱とはどのような人物だったのか
戦国時代、織田信長(演:小栗旬)の飛躍を決定づけた「桶狭間の戦い」……その陰には、無名ながらも戦局を動かした武将たちの姿がありました。2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に登場する、梁田政綱(やなだ・まさつな、演:金子岳憲)もその一人。
彼の冷静な判断と的確な行動が、信長の奇襲成功を支えたと伝えられています。本記事では、史料に残る数少ない記述をもとに、梁田政綱の実像に迫ります。
『豊臣兄弟!』では、今川本陣への奇襲に成功する人物として描かれます。

梁田政綱が生きた時代
戦国の世とは、実力によって領土と地位が塗り替えられる動乱の時代。室町幕府の権威が衰退し、各地で下剋上が起きていました。
永禄3年(1560)、駿河の名門・今川義元が2万5千の大軍を率いて尾張へ侵攻。これに対し、尾張の若き当主・織田信長がわずか数千の兵で立ち向かい、奇跡的な勝利をおさめた「桶狭間の戦い」は、日本史上屈指の逆転劇として知られています。
梁田政綱はまさにこの時代、信長軍の一員として歴史の転換点に立ち会ったのです。
梁田政綱の生涯と主な出来事
梁田政綱の生没年は不詳です。限られた資料から政綱の生涯を、辿っていきましょう。
桶狭間の戦いにおける重要な役割
梁田政綱が史料に登場するのは、桶狭間の戦いの局面においてです。彼は織田信長の命を受け、佐久間盛重(さくま・もりしげ)とともに丸根砦(まるねとりで)の守備に就きました。
この丸根砦は、今川軍が拠る大高城を押さえるための前線拠点。政綱たちは数的不利な状況にもかかわらず、迫りくる今川方の松平元康(のちの徳川家康)軍を迎え撃ちます。
激しい戦闘の末、佐久間盛重は討死。砦は陥落してしまいました。

信長の奇襲成功を陰で支えた存在
丸根砦・鷲津砦の陥落を知った信長は、今川義元が田楽狭間(でんがくはざま)で休息しているとの情報を得ると、その本陣を奇襲する決断を下します。このとき、織田家の宿老たちの多くは、兵力差などを理由に襲撃を思いとどまるよう進言したと伝えられています。
しかし、政綱はこの奇襲に賛成し、むしろ好機であると進言したともいわれます。さらに政綱は、密かに兵を動かして今川義元の本陣の裏手に回り込んだという説も残されています。
結果として、信長軍は今川義元を討ち取り、戦国史に残る大逆転劇を成し遂げました。もしこのとき、政綱の冷静な判断と積極的な後押しがなければ、桶狭間の戦いはまったく異なる結末を迎えていた可能性も否定できません。

沓掛城の城主に抜擢される
桶狭間の戦いの功績により、政綱は尾張の沓掛(くつかけ、現在の愛知県豊明市沓掛町)の地、3千貫文を与えられ、沓掛城の城主となりました。沓掛城は東海道沿いの要衝にあり、信長が尾張から三河へ勢力を伸ばすにあたって重要な拠点でした。
この恩賞は、信長が政綱の働きを高く評価していた証でもあります。以後の活動記録は乏しいものの、政綱が信長の勢力拡大に尽力したことは確かです。

まとめ
梁田政綱は、名だたる武将のように多くの記録が残る人物ではありません。しかし、桶狭間の戦いという歴史的な戦局のなかで、重要な役割を果たした陰の立役者であったことは間違いありません。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本歴史地名大系』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)











