はじめに-藤原定子とはどんな人物だったのか?

藤原定子(ふじわらのていし/さだこ)は、道長の兄・道隆(みちたか)の娘で、一条天皇の中宮です。父・兼家(かねいえ)から関白職を譲り受けた道隆は権勢を振るい、彼の家系である中関白家は栄華を極めました。

中関白家のさらなる繁栄を望む道隆の期待を一身に受けた定子は、時の天皇・一条天皇の中宮として入内することとなります。明るく、聡明だったとされる定子は、一条天皇を始め、多くの人々から慕われていたそうです。中でも、定子に仕えた清少納言は、才色兼備な彼女を絶賛し、生涯を通して忠誠を尽くしました。

清少納言の代表作『枕草子』では、聡明で奥ゆかしい美人として描かれていますが、実際の藤原定子はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、一条天皇からの寵愛を受けるも、悲運に見舞われる女性(演:高畑充希)として描かれます。

藤原定子

目次
はじめに―藤原定子とはどんな人物だったのか?
藤原定子が生きた時代
藤原定子の足跡と主な出来事
まとめ

藤原定子が生きた時代

藤原定子は、貞元元年(976)に生まれます。定子が生まれた頃、彼女の祖父・兼家が権勢を振るっていました。関白となった兼家は、嫡男・道隆を大層可愛がり、彼に自分の後を継がせようとしたのです。兼家から関白職を譲り受けた道隆は、氏長者として政界を牛耳るようになり、娘の定子も周囲から一目置かれる存在になりました。

藤原定子の足跡と主な出来事

藤原定子は、貞元元年(976)に生まれ、長保2年(1000)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

道隆の子として生まれる、一条天皇の中宮になる

藤原定子は、貞元元年(976)、藤原道隆と高階貴子(たかしなのきし/たかこ)の長女として生まれました。藤原北家出身の権力者である父・道隆は、眉目秀麗で学才があったとされます。また、母・貴子も教養深く、儀同三司母(ぎどうさんしのはは)として、小倉百人一首にも和歌が選ばれています。

優秀な父母のもとで生まれ育った定子。当時の女性としては珍しく、漢詩文に長けており、才気あふれる聡明な女性へと育ちました。そして、正暦元年(990)、一条天皇の女御(天皇の寝所に侍した女性)を経た後、中宮(天皇の后)となったのです。

藤原道隆
出典:国立国会図書館ウェブサイト(https://dl.ndl.go.jp/pid/778241/1/63

道隆が死去、定子の不遇な最期。次ページに続きます

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