はじめに-源雅信とはどんな人物だったのか?
源雅信(みなもとのまさのぶ)は、平安時代中期の公卿です。宇多(うだ)天皇の孫であり、藤原道長の妻・倫子(りんし/ともこ)の父としても知られています。天皇家の血を引いていたということもあり、娘・倫子を天皇の后につけようとしていたそうです。
そのため、倫子と道長の結婚を猛反対したと言われています。音楽の才能があり、一代の名匠と称された雅信。教養深く、娘思いの父親というイメージがありますが、実際の源雅信はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、愛娘・倫子の入内について悩む左大臣(演:益岡徹)として描かれます。
目次
はじめに―源雅信とはどんな人物だったのか?
源雅信が生きた時代
源雅信の足跡と主な出来事
まとめ
源雅信が生きた時代
源雅信は、延喜20年(920)に生まれます。雅信が生まれた頃、天皇家との結びつきを強めていた藤原氏が、ほかの貴族たちを圧倒していました。藤原氏出身ではないものの、天皇の孫である雅信。貴族社会の中でも一定の地位を確保し、順調に官途を辿ることとなるのです。
源雅信の足跡と主な出来事
源雅信は、延喜20年(920)に生まれ、正暦4年(993)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
左大臣になる
源雅信は、延喜20年(920)、宇多天皇の子・敦実(あつみ)親王と、藤原時平の娘の子として生まれます。天皇を祖父に持つ雅信。天暦5年(951)に参議(政治上の議事に参与する職)に任命され、天元元年(978)には、左大臣に昇進するなど、上級貴族として順調に官途を辿りました。
【娘・倫子の結婚に反対する。次ページに続きます】