道長との関係性
藤原北家の嫡流・小野宮家の当主という自負があった実資。時の権力者・藤原道長が権力の絶頂を迎えていた際も、安易に迎合しようとはしませんでした。宮廷内で誰も道長に逆らうことができない中、実資は終始道長に意見することができたのです。
実資の日記である『小右記(しょうゆうき)』の中には、独善的な道長の行動を鋭く批判する内容も見られます。このことから、実資は道長に対して批判的だったと言われることもありますが、単に道長と争ったのではなく、常に公正な立場を維持しようとしたのではないかと考えられます。
また、学識深く、自身と対等に接することができる実資のことを、道長も一目置いていたと考えられています。貴族社会の頂点に立った道長ですが、権力に屈しない実資に対する尊敬の念があったのかもしれません。
まとめ
小野宮家当主としての矜持を持ち、終始権力にこびへつらうことはなかった藤原実資。実資が記した『小右記』は、摂関政治の最盛期だった当時を知ることができる重要な史料として、現在でも研究が進められています。
公正な立場で、政治と向かい続けた実資は、まさに「賢人右府」という呼び名に相応しい人物だったと言えるのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『山川日本史小辞典』(山川出版社)
『日本人名大辞典』(講談社)